私たちは自身の家族や人生のあり方を自らの意思で決めるのが当然だと考えます。しかし、もしその決定に当事者である私たちの考えや意見が全く反映されないとしたら、それは極めて不条理に感じるに違いありません。この理不尽さは、まさに日本の皇室、特に皇位継承を巡る議論において顕著に見られます。現在、安定的な皇位継承に向けた議論が国会でも進められていますが、当事者である天皇陛下や皇族方が、自身の境遇や将来について意見を述べる機会は一切用意されていないのが現状です。
憲法と皇室典範に縛られる「個人の意思」
天皇陛下は、日本国憲法第4条によって「国政に関する権能を有しない」と明確に定められています。この規定は、天皇が自らの立場や皇室のあり方について発言することが「国政への関与」と見なされ、その言動が厳しく制限されることを意味します。憲法には皇族に関する具体的な規定はありませんが、この原則が皇族にも準用されると解釈されており、彼らもまた、自身の運命を左右する重要な議論において、その意思を表明できない状況に置かれています。一般市民であれば当然与えられるはずの自己決定権が、天皇や皇族には憲法上の制約によって許されないという、極めて特殊かつ理不尽な状況が存在するのです。
天皇、皇后両陛下と長女愛子さまが須崎御用邸への静養のため伊豆急下田駅にご到着された様子。皇室の公務と私生活のバランス、そして皇位継承問題における当事者の声の重要性を象徴する一枚。
上皇陛下の「生前退位」が示す異例の展開
このような背景の中で、現在の高齢の上皇陛下が「生前に退位したい」という強い意向を示されたことは、まさに異例中の異例であり、日本社会に大きな波紋を広げました。2016年7月13日のNHKニュースによるスクープ報道を皮切りに、同年8月8日には上皇陛下ご自身がビデオメッセージを通じて国民に直接そのお考えを伝えられました。これは憲法上の制約を考慮すると極めて稀な出来事でしたが、その強い訴えが国民に深く受け止められたことで、政府は対応を迫られます。
同年9月23日、当時の安倍晋三首相は「天皇の公務の軽減等に関する有識者会議」の開催を決定し、10月17日には第1回の会議が開かれました。この会議は翌2017年4月21日まで継続され、最終報告が首相に提出されます。そして、2017年6月9日には「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が成立し、上皇陛下の退位が法的に可能となりました。実際の退位は2019年4月30日に執り行われ、平成から令和へと時代が移り変わったのです。退位を巡る議論の初期段階では、美智子上皇后陛下が摂政設置案に反対されたとの報道もありました。しかし、上皇陛下は、昭和天皇が大正天皇の摂政を務めた際の多大なご苦労を踏まえ、ご自身が摂政を置くことに強く反対されたため、この案は最終的に実現しませんでした。
皇室の未来を考える上での「盲点」
上皇陛下の「生前退位」は、天皇・皇族の「当事者」としての意思が、結果として世論や政治を動かした稀有な事例でした。しかし、現在進行中の皇位継承に関する本格的な議論においては、依然として当事者である天皇や皇族の声が公式に議論の場に反映される機会はありません。皇室の安定と未来を真に考えるのであれば、彼らの意思を完全に無視したまま議論を進めることの「盲点」に、国民全体が深く向き合う必要があるでしょう。彼らが担う公的な役割と、一人の人間としての尊厳や意思との間の複雑な葛藤は、皇室のあり方そのものを考える上で避けては通れない課題と言えます。