突然ですが、「市内に地下鉄がなく、乗り入れ計画もない百万都市はどこ?」と問われたら、あなたはどの街を思い浮かべるでしょうか。国土交通省の基準において、地下鉄事業者の駅が存在せず、車両乗り入れ予定もない百万都市(23区を除く)は、全国で唯一、広島県広島市です。実は過去、この広島市には、国からも見放され、長年市民に親しまれた路面電車と対立して頓挫した、あまりにも壮大な地下鉄建設計画がありました。
広島市中心部の紙屋町、車窓から見た都市の風景
広島の交通課題と「幻の地下鉄」構想の背景
広島市は中・四国地方最大の約120万人の人口を抱え、面積は広いものの中心市街地は極めて狭隘です。このため、郊外からの通勤・通学を担うJR可部線や広島電鉄宮島線は全国有数の混雑率を記録し、道路も慢性的な渋滞に悩まされています。
この深刻な交通問題を解決すべく、広島市は830億円もの巨費を投じ、独自の地下鉄建設を計画。これは全国的にも類を見ない、極めて野心的な構想でした。
国をも驚かせたその「無謀すぎる」計画内容
計画は、郊外の国鉄路線へ乗り入れ、約90キロメートルに及ぶ広大な直通ネットワークを築くというものでした。
さらに驚くべきは、市内の路面電車を地下化し同一ホームでの乗り換えを可能にする案や、川の上にUターン施設を設ける奇抜なアイデア。そして郊外では、乗り入れ先の国鉄路線そのものをまるごと移転させるという、当時の常識を逸脱した「無茶すぎる」内容が含まれていました。
詳細資料が語る「本気度」
この地下鉄建設が単なる絵空事ではなかったことは、1971年から1974年にかけて3度発行された詳細な資料「広島都市高速鉄道計画」が物語っています。綿密な路線図、導入予定の車両イメージ、運行シミュレーションまで克明に記されており、当時の広島市がいかにこの「幻の地下鉄」実現に情熱を傾けていたかがうかがえます。
幻と消えた計画が示す都市計画の教訓
広島市独自の地下鉄計画は、当時の深刻な交通問題を解決すべく革新的な試みでしたが、そのあまりに野心的な構想は国の支持を得られず、市民に根付いた路面電車との共存問題にも直面し、最終的に「幻の計画」として歴史に埋もれました。しかし、広島の交通史に刻まれたこの壮大な挑戦は、都市計画の難しさと可能性を今に伝える貴重な教訓と言えるでしょう。