金沢刑務所内で受刑者への不適切な医療行為が横行していたとして、これを公益通報した非常勤の女性医師(49)が雇い止めになった問題が波紋を呼んでいます。「塀の中」という閉ざされた環境で、いったい何が起きているのでしょうか。この事態は、日本の矯正医療の現状と受刑者の人権に関わる深刻な課題を浮き彫りにしています。
法務省に金沢刑務所の不適切医療を訴え会見する元女性医師
劣悪な医療現場の実態:非常勤医師が目撃したもの
2022年1月、金沢刑務所で非常勤医師として勤務を開始した女性医師は、その光景に言葉を失いました。診察室はカビだらけで、床には廃棄物が山積みにされ、20年以上前の古い酸素ボンベが放置されているという、とても医療現場とは呼べない状況だったのです。受刑者の改善更生に寄与したいという思いから刑務所での勤務を決意したものの、現実は理想とはかけ離れていました。
医療行為そのものも杜撰でした。糖尿病で服薬中の患者に対して数カ月から1年にわたり血液検査が全く実施されないケースが散見され、高血圧患者の血圧すら測定されないという信じがたい事態も発生していました。このようなずさんな医療体制では、患者である受刑者の命を守ることができないと女性医師は強く感じました。
改革への試みと職場の反発
翌2023年4月、女性医師が診療所の管理者である医務課長に就任すると、「改善プロジェクト」を立ち上げ、医療体制の改善を呼びかけました。まず、不衛生な診察室などのハード面の改善に着手しましたが、職場の空気は冷ややかで、清潔になった診察室にも関わらず、周囲から喜ばれる様子はありませんでした。それどころか、「やばい指示を出す医者」といった誹謗中傷が広まる始末でした。
やがて、受刑者への不適切な医療が頻発するようになります。その中心となっていたのは、常勤の外科医師と看護師長でした。例えば、外科医師は複数の糖尿病患者に対し、インスリン投与を突然中止し、放置しました。また、目が腫れるなど明らかな異常があるにもかかわらず、点眼薬のみを処方し続け、結果的に眼球摘出が検討されるまでに悪化させたケースもありました。看護師長に至っては、摂食障害を抱える受刑者への点滴を指示しておきながら、「点滴を勝手に抜く」という理由で実施しなかった事例もあったとされています。
「死ななければいい」:幹部の差別意識と公益通報の決断
刑事収容施設法第56条に基づき、刑務所や拘置所などの矯正施設における医療は「社会一般と同水準の医療を受けること」が保障されています。しかし、命を軽んじるような一連の医療行為に接し、女性医師は根強い差別意識を感じたと言います。「罪を犯した人には、時間も労力も予算もかけて医療を施す必要はないという差別感情、あるいは処罰感情のようなものが背景にあると思いました」と彼女は語っています。
金沢刑務所の外観:不適切医療問題の舞台となった矯正施設
実際に、幹部である当時の総務部長に問題を訴えた際、「矯正医療は被収容者が死ななければいい」と言い放たれたといいます。さらに、「東京拘置所では医師を2人辞めさせてきた」などと高圧的な発言を繰り返されました。処遇部長からは、執務室への入室禁止や、急患以外は診察しないよう命じられるといった妨害行為もありました。幹部に訴えても状況が改善されないと判断した女性医師は、共に改革を進めてきた別の非常勤女性医師(58)らとともに、2024年5月から今年2月までの間、計5回にわたり法務省矯正局に公益通報を行いました。この問題は、日本の矯正医療が抱える構造的な課題と、受刑者への人道的な医療提供のあり方を改めて問うものとなっています。
参考文献
- AERA 2025年8月11日-8月18日合併号 (Yahoo!ニュース掲載記事): https://news.yahoo.co.jp/articles/91d55364a14bc1f4134df13659c456a953fb32e6