南シナ海で中国艦船同士が衝突:フィリピン船追跡中の“不面目な事故”が示すもの

南シナ海の係争水域で、排水量数千トンに及ぶ中国の艦船2隻が衝突するという異例の事態が発生した。専門家はこの事故を「幸運だった」と評するものの、その背後には地域の地政学的リスクと中国の「行き過ぎた」海洋戦略が浮き彫りになっている。フィリピン船を追跡中の中国海警局船が人民解放軍海軍の誘導ミサイル駆逐艦と衝突し、船首が大きく損傷する結果となった。この衝突は、不安定な南シナ海の情勢において、偶発的な事故がいかに深刻な事態に発展しうるかを強く示唆している。

衝突の瞬間とその詳細

フィリピン沿岸警備隊が公開した映像は、2隻の中国艦船が衝突する衝撃的な瞬間を捉えている。この映像からは、中国海警局の船首部分が大きく破損している様子が確認できる。フィリピン沿岸警備隊のジェイ・タリエラ准将によると、衝突は今月11日、フィリピンのルソン島西方約225キロに位置する係争領域、スカボロー礁付近で発生した。当時、フィリピンの漁師に支援物資を配布する任務が行われていたという。

タリエラ氏の証言によれば、衝突時、中国海警局の巡視船(船体番号3104)は、フィリピン沿岸警備隊の巡視船「スルアン」を「高速」で追跡しており、フィリピンの船舶や漁師らは危険な行動によって妨害を受けていた。その直後、人民解放軍海軍の052D型駆逐艦「桂林」(船体番号164)が「危険な動き」を行い、海警局船の船首に「重大な損傷」を与え、航行不能な状態に陥らせたという。映像では、海警局の巡視船の船首に少なくとも3人の要員が確認できるが、幸いにも死傷者の報告はされていない。2隻の中国艦船は、サイズではるかに小型のフィリピンの巡視船「スルアン」を追跡していた状況下での事故だった。

南シナ海、フィリピン船追跡中に衝突した中国海警局船と人民解放軍海軍駆逐艦南シナ海、フィリピン船追跡中に衝突した中国海警局船と人民解放軍海軍駆逐艦

中国側の反応と領有権主張

この内部衝突について、中国側は現時点では確認していない。中国はフィリピン船との対峙状況には言及したものの、自国艦船同士の衝突には触れていない。中国政府は南シナ海のほぼ全域に主権が及ぶと一方的に主張しており、自国艦船の行動は領有権保護のためであるとしている。

中国外務省の林剣報道官は11日、スカボロー礁へのフィリピン船派遣は「中国の主権と権利の深刻な侵害であり、海の平和と安定を著しく脅かす重大な事態だ」と非難した。しかし、アジア海事透明性イニシアチブによれば、無人のスカボロー礁はフィリピンの排他的経済水域(EEZ)内にあるにもかかわらず、中国は2012年以降、海警局をほぼ常駐させ、実効支配下に置いているのが現状である。

専門家が指摘する「不面目な事態」と潜在的リスク

今回の衝突について、専門家からは中国軍の「面目を失わせる事態」であり、より深刻な結果を招く可能性があったとの指摘が上がっている。フィリピンは米国と相互防衛条約を結ぶ同盟国であり、マルコス大統領はこの種の事案でフィリピン人船員が死亡すれば「戦争行為」と見なされ得ると明言しているだけに、その危険性は看過できない。

南シナ海問題の専門家であり、スタンフォード大学ゴーディアン・ノット国家安全保障イノベーションセンター幹部のレイ・パウエル氏は、「人民解放軍の駆逐艦は、サイズではるかに劣るフィリピン沿岸警備隊の船に衝突していた可能性もある。そうなれば、ほぼ確実に死傷者が出ていただろうし、フィリピン船が沈没する事態すらあり得た」と述べている。「その場合、今頃どうなっていたか。フィリピンはこれを『武力攻撃』と呼ばずに済ませることができただろうか」とパウエル氏は問いかける。米国当局者はこれまで、係争海域でのあらゆる武力攻撃からフィリピンを防衛する考えを繰り返し表明し、1951年の防衛条約に基づく「鉄の決意」を強調してきた。

「行き過ぎた行動」の背景と中国軍の特性

パウエル氏ら専門家は、2021年に就役した高度な駆逐艦「桂林」が関与したのは極めて異例で、「行き過ぎ」だったと指摘する。人民解放軍海軍の艦艇は通常、「水平線以遠」に待機し、海警局の小型船が深刻な事態に陥った場合に支援する体制を取っているという。オープンソースの追跡サイトで対峙の様子を見守っていたパウエル氏は、衝突発生時、現場海域には中国海警局の船7隻と海上民兵の船14隻が展開していたのに対し、フィリピン側は沿岸警備隊の船2隻、漁業局の船1隻、魚の輸送に使われる商船1隻の計4隻しか確認できなかったと述べている。

映像を検証したアナリストで米海軍退役大佐のカール・シュースター氏は、中国船2隻は「フィリピンの巡視船を両側から挟み込み、至近距離から放水を浴びせてエンジン吸気口に水を送り込み、さらに(中国の)船のうち1隻が船尾に体当たりするか、別の方法でフィリピン船を機能不全にさせる狙い」だったと分析。「こうした動きには多くの訓練と調整が必要になる」とし、「彼らは明らかに準備の整ったフィリピン側の乗組員に対し、こうした前提も無しに慣れない大胆かつ複雑な動きを試み、その代償を支払うことになった」と指摘した。

英ロンドン大キングス・カレッジのアレッシオ・パタラーノ教授(戦争学・東アジア戦略学)も、中国船の動きには「操船術らしきものがこれといって」見られなかったと指摘する。「意図から実行に至るまで、どれを取っても非常にプロ意識に乏しく、危険な動きだった。結局、仕掛けた側の1隻が損傷して機能不全になるという報いを受けた」とパタラーノ氏は述べる。

シンガポールにあるS・ラジャラトナム国際研究院(RSIS)のコリン・コー研究員も、人民解放軍海軍の大型艦「052D型駆逐艦」を投入したのは「行き過ぎ」だったとの見方を示す。この駆逐艦には、航空機の撃墜や敵艦の撃沈、遠く離れた地上目標への攻撃を念頭に開発されたミサイルが多数搭載されており、米軍の評価によれば、052D型は中国の空母打撃群の要となるべく設計されている。コー氏は「今回の件は本質的に法執行任務であり、この種の任務にこうしたハイテク艦を使用するのは行き過ぎだ」と強調した。

今回の事案は、領有権が争われている南シナ海を巡り専門家が長く懸念してきたこと、つまり、一人の艦長やパイロットの誤りが大国同士の軍事衝突につながる可能性を改めて浮き彫りにした。パウエル氏は、中国の艦船が「安全距離と行動の両面であまりに攻撃的になり、2隻とも回避行動を取れなかったことを裏付けている」と述べ、このような行動が中国政府によって奨励されてきた可能性を指摘。2001年に南シナ海上空で米海軍偵察機と衝突して死亡した戦闘機のパイロットが国家的英雄として称賛された事例などを挙げ、「インセンティブの構造がゆがんでいて、軍の将校が攻撃的な行動に出る方向に傾いているように見える」と語った。「正直なところ、今回の件は熱心すぎる人民解放軍海軍の艦長が交戦規則を拡大解釈した事例ではないかと思っている」とパウエル氏は結論付けている。

結論

南シナ海で発生した中国艦船同士の衝突は、単なる事故以上の意味を持つ。この「不面目な事態」は、中国の海洋戦略における「行き過ぎた」行動様式と、その背後にある指揮系統やインセンティブの問題を浮き彫りにした。同時に、フィリピンとの間の領有権問題における偶発的な衝突が、米比同盟を巻き込むより大規模な紛争へと発展しうる潜在的な危険性も示している。今回の事案は、南シナ海の安定が、各国の行動規範と指揮官の判断に大きく依存していることを改めて国際社会に突きつけるものとなった。


本稿はCNNのブラッド・レンドン、キャスリーン・マグラモ両記者による分析記事です。