千玄室氏が102歳で死去:茶道裏千家前家元、平和を貫いた生涯と特攻隊の記憶

茶道裏千家前家元で、千利休の茶の湯の文化を世界に広めた千玄室(せん・げんしつ)氏が、2024年8月14日午前0時42分、京都市内の病院で逝去されました。102歳でした。その生涯は、茶道の精神を通じて世界平和を訴え続けたものであり、特に第二次世界大戦中の特攻隊での経験が、その活動の原動力となっていました。

長年にわたる平和活動と公職

千玄室氏は、ユネスコ親善大使や日本・国連親善大使など、亡くなるまでに100以上の公職を務め、茶の心を通じて国際社会に平和の重要性を訴え続けました。その広範な活動の根底には、特攻隊で仲間を失った経験から終生抱き続けた「忸怩(じくじ)たる思い」がありました。

特攻隊での体験と「忸怩たる思い」

1943年、千氏は海軍に入隊し、後に俳優・水戸黄門として知られる西村晃氏(1997年死去)と親交を深めました。両氏は共に特攻隊を志願し、配属先にも茶道具を持参し、訓練の合間にはやかんの湯と配給のようかんで仲間たちに茶を振る舞っていたといいます。

1945年5月、千氏は沖縄戦への出撃直前に命令が取り消され、命拾いをしましたが、西村氏をはじめとする多くの仲間は次々と出撃していきました。悪天候のため生還した西村氏とは戦後に再会し、その後も交流を続けました。千氏は生還した者としての責任や覚悟を胸に、「亡くなった戦友の名前を一人ずつ挙げ、人柄や人物像を語るたびに『忸怩たる思いで戦後を生きてきた』と苦渋をにじませていました」と語る関係者もいました。

千玄室氏が102歳で死去:茶道裏千家前家元、平和を貫いた生涯と特攻隊の記憶

茶道を通じた人間関係の構築と晩年の活動

千氏は、「『お先に』『どうぞ』と声を掛け合って飲む作法が、人間同士の絆を育む」と平易な言葉で茶道の精神と平和への思いを伝えてきました。晩年には「今も耳の奥で戦友の声が聞こえる」と度々語り、慰霊のため毎年のように沖縄やかつての基地があった地に赴き、茶を供えることを欠かしませんでした。

講演では、豊富な海外体験から「アフターユー(お先にどうぞ)」といった、交流に役立つ言葉を披露し、行く先々で多くの人々の輪を生み出しました。気さくな人柄で、記者にも「何でも聞いてや」と声をかけ、温かい握手を交わすなど、その大きな存在感は多くの人々に影響を与え続けました。

千玄室氏の逝去は、茶道界だけでなく、国際的な平和活動においても大きな損失です。しかし、彼が遺した平和へのメッセージと茶道の精神は、これからも多くの人々の心に生き続けることでしょう。

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