参院選での歴史的な敗北にもかかわらず、石破茂首相は続投を表明し、永田町に大きな波紋を広げました。この決断の背景には何があり、自民党内でどのような激しい議論が交わされたのでしょうか。本稿では、月刊文藝春秋の名物政治コラム「赤坂太郎」からのインサイド情報を元に、石破政権が直面する苦境と、党内の深層で渦巻く「下野論」の真意を詳述し、日本の政治情勢の核心に迫ります。
参院選敗北後の石破首相と「比較第一党」の論理
参院選投開票の翌日、石破首相は続投の正当性を主張する根拠として、「比較第一党としての責任」と「明日にも起きるかもしれない首都直下型地震への対応」を挙げました。「比較第一党」という表現は、幹事長の森山裕氏の入れ知恵によるもので、石破氏はその言葉にすぐに飛びついたとされます。一方、「首都直下型地震」は防災への熱心な意識を持つ石破氏自身が付け加えたものでした。しかし、これらのピント外れの開き直りは、その思惑とは裏腹に、世論の反発を買い、自らへの“往復ビンタ”となって返ってきました。
国民からの批判に加え、全国の自民党県連からも相次いで辞任を求める声が上がりました。特に、昨年の総裁選で石破氏と争った茂木敏充氏や高市早苗氏の息のかかった県連が辞任を要求してきたため、石破氏はかえって態度を硬化させました。かくして、関税交渉の妥結後も、振り上げた続投の拳を下ろすことができず、辞意表明の最適なタイミングを完全に見失ってしまったのです。
振り返れば、今回の参院選において、石破政権は誤算の連続でした。物価対策としての一律給付金は、「バラマキ」だと批判されることを石破氏自身が危惧していました。しかし、公明党・創価学会の強い意向を受けた自民党選対委員長の木原誠二氏が譲歩せず、国民一人あたり2万円、子どもや住民税非課税世帯にはさらに2万円を追加するという内容が決定されました。石破氏が「バラマキではない」と強弁したところで、その迷走ぶりは明らかでした。
野党が一斉に消費税減税を訴える中、さらに「日本人ファースト」を掲げナショナリズムを扇動する参政党が自民党の支持層を切り崩し、足元を揺るがすという挟み撃ちの展開も、石破氏は全く想像さえしていませんでした。
参院選敗北後も続投を表明した石破茂首相
過半数維持に向けた密談と「六人組」の登場
自公連立政権の参院選での過半数割れが現実味を帯びてくると、森山幹事長は石破氏に「48議席に届けば、残りの2議席を埋めて(過半数を維持できる)50議席までは何とか埋められるかもしれません」と耳打ちしました。この2議席を埋める秘策とは、参院静岡選挙区選出の非改選無所属議員である平山佐知子氏と、今回和歌山選挙区から無所属で出馬し当選した望月良男氏を自民党会派に引き込むことでした。平山氏はかつて民主党に所属し、細野豪志氏と行動を共にしていましたが、細野氏の引きで自民党会派に引き込めるとの感触を得ていました。望月氏は自民党公認の二階伸康氏に対抗し、世耕弘成氏の支援を受けて当選した議員です。
しかし、最終的な結果は自公合わせて47議席に留まり、目標に1議席足りませんでした。そこで、比例代表で1議席を得た「チームみらい」党首のAIエンジニア、安野貴博氏に接触を試みましたが、彼は一顧だにしませんでした。
参院選惨敗から2日後の7月22日正午過ぎ、首相官邸裏手のザ・キャピトルホテル東急にある中国料理店「星ヶ岡」の個室に、「六人組」と呼ばれる自民党の重鎮たちが集結しました。メンバーは佐藤勉氏、古川禎久氏、齋藤健氏、御法川信英氏、萩生田光一氏。この日は木原誠二氏が欠席しており、農水大臣に就任した小泉進次郎氏も一時的にメンバーから外れていました。彼らは旧派閥やグループの要であり、党内の意見の大半を集約できる立場にあります。会合では、「比較第一党としての責任」などと安易に居座る石破氏への非難に留まらず、ついには「いつまでも与党にいても、埒が明かない。ケジメをつけて、自民党は下野すべきだ」「一度、野党にやってもらおうじゃないか」という「下野論」にまで話が及びました。
この「下野論」の主眼は、単なる自省ではなく、野党への牽制にありました。もし自民党が総理の座を失えば、党は自壊しかねない。一方で、首班指名選挙で野党が結束できない以上、次の首相は再び自民党総裁から選ばれる可能性が高い。しかし、少数与党となれば野党の言い分を聞かざるを得ず、国民の批判の矛先は依然として自民党に向けられる。ならば、日本維新の会であれ、国民民主党であれ、野党の方から自民党に協力を求めてくるべきだという、いわば野党へのボールを投げかける狙いがあったのです。
この会合の直後、佐藤氏は自民党本部にある森山幹事長室を訪ね、石破氏のみならず執行部全員がケジメをつけて下野すべきだと要求しました。森山氏はこれに対し、「私もケジメをつけたいとの思いはありましたが、自分の口からは言えなかったのです……」と自身の進退について漏らしました。しかし、これを額面通りに受け取ることはできません。石破氏は常々「私は森山さんに助けられている」と公言しており、森山氏自身も自分が幹事長として支えなければ政権がもたない現実を誰よりも知っているからです。森山氏の本音は「石破が私を切れるわけがない」というところでしょう。
いずれにせよ、石破氏にせよ、森山氏にせよ、いつまでも続投できると考えていたわけではないことは明らかです。
結論
参院選の敗北後も続投を強行した石破首相の決断は、永田町に複雑な波紋を広げ、自民党内部では政権運営の是非を問う深刻な議論が巻き起こっています。特に、「下野論」の浮上は、単なる批判に留まらず、今後の政局を左右する戦略的な意味合いを持つものでした。国民の信頼回復と党の結束という二重の課題に直面する石破政権の行方は、引き続き内外から注目の的となるでしょう。
参考文献
- 文藝春秋2025年9月号「ポスト石破は『三次方程式』で決まる〈赤坂太郎 特別編〉」
- Source link: https://news.yahoo.co.jp/articles/c5af2f584d9db160f393a1d1f3a20a9034300e97