女優の黒木瞳さん(64)が12日、1985年(昭和60年)に520人の命が犠牲となった日航ジャンボ機墜落事故から40年を迎えるこの日、群馬県上野村の御巣鷹の尾根で慰霊登山を行いました。事故で亡くなった宝塚歌劇団の同期生であり、無二の親友であった北原遥子さん(本名・吉田由美子さん)の墓碑に、同期2人と共に静かに手を合わせました。墜落現場を訪れるのは今回が初めてであり、長年の迷いと葛藤の末に決意した登山でした。黒木さんは亡き親友に「やっと来られたよ」と語りかけ、深い思いを伝えました。
40年の時を経て、親友の地へ
うっそうとした木々に囲まれた深い山奥に、黒木さんと同期2人の歌声が静かに響き渡りました。「終焉の地」と刻まれ、スミレのブーケや供花で飾られた北原遥子さんの墓碑。24歳の若さで命を落とした北原さんの遺影に向かい、宝塚歌劇団の代表曲である「すみれの花咲く頃」を心を込めて歌いました。標高1565メートルの森林の中で開かれた“同窓会”のようなひとときには、時折笑顔もこぼれました。黒木さんは「来て本当に良かった」と、その思いをかみしめながら空を見上げていました。
日航機墜落事故の犠牲者慰霊碑の前で、親友北原遥子さんの名前を見つめる黒木瞳。
慰霊登山への長い葛藤と決意
事故から40年もの間、黒木さんは慰霊登山を避けてきました。北原さんが眠る都内の寺には毎年墓参に訪れていましたが、事故現場は喪失感と悔しさに直結する場所であり、「事実を認めたくない。受け止める自信がなかった」と、その胸中を明かしています。しかし今年初め、転機が訪れました。実は同じ事故で当時の勤務先の同僚7人を亡くしていた夫からの言葉が、彼女の心を動かしました。「年齢も考えると今後機会はそう多くない。このままでいいの?」という、今まで言われたことのない言葉に、黒木さんは「行ってみようかな」と揺れ動いたといいます。
不安もあった黒木さんを支えたのは、共に同行した同期生の小乙女幸さん、文月玲さんの存在でした。この日、一行は早朝6時半に宿舎を出発。登山口からストックを握り、ゆっくりと一歩一歩、かみしめるように山道を登り始めました。小雨が時折降る不安定な天候で、足もとも滑りやすかったにも関わらず、黒木さんは「全然疲れない。だって(北原さんが)待ってるから」と語り、親友への強い思いを胸に進みました。
困難を乗り越え、親友との「再会」
前日の11日には、上野村で行われた追悼の灯籠流しに参加し、涙が止まらなかったという黒木さん。この日の山道では、あちこちにある犠牲者の墓標や、520人の名前が刻まれた慰霊碑の前で神妙な表情で手を合わせる場面も見られました。しかし、北原さんの墓碑前では、感極まった表情の中に笑顔がこぼれていました。同行した北原さんの兄も、終始笑顔を絶やしませんでした。黒木さんは「昨日は『やっと来れたよ』って40年分の涙を流しました。でも今日はこうして皆さんにいつまでも愛され、忘れずにいてくれる方たちの存在をこの場で体感できた。だから(北原さんには)『良かったね』って言いました」と、心境を語りました。
そう思っていると、北原さんが自分に向かって言いそうな言葉が心に浮かんだといいます。「来れて良かったね、昭子(=黒木さんの本名)。いつでも待ってる」。その言葉は、まるで親友からの温かいメッセージのようでした。
悲しみと共に、未来へ
北原遥子さんの死を認めたわけでも、受け入れたわけでもなく、悲しみも癒えていないという黒木さん。しかし、「でもまたいつか、ここに来ようと思っています」と、御巣鷹の尾根への再訪を誓いました。あの日から40年。黒木さんは、自身を強くしてくれた親友である北原遥子さんに深く感謝しています。この慰霊登山は、彼女にとって大きな節目となり、親友との絆を改めて感じさせる貴重な体験となりました。