かつて米国のジャーナリズムを牽引し、権力に屈しない調査報道の象徴とされてきた米CBSニュースが、今、その信頼性を大きく揺るがしている。半世紀以上にわたり、歴代政権や巨大企業を監視し、国民の知る権利に応えてきたこの放送局は、なぜ突如として“忖度”の姿勢に転じたのか。その背景には、メディアを取り巻く経営環境と政治的な圧力が複雑に絡み合っている。
かつて「権力に屈しない報道」を貫いたCBSのレガシー
米国の放送報道は長らく、ABC、CBS、NBCの三大ネットワークがその中心を担ってきた。中でもCBSニュースは、卓越した調査報道と国民的信頼を背景に、ジャーナリズムを志す学生にとって最高の目標とされてきた。
その象徴的な出来事として、1954年には「テレビ史上初のニュースキャスター」と称されるエドワード・R・マローが、調査報道番組「See It Now」でジョセフ・マッカーシー上院議員による「赤狩り」を徹底追及し、その終息を導いた。これは、CBSが「権力に屈しない報道」を貫く姿勢を明確に示した歴史的な一歩であった。
その後も、「国民が大統領より信頼するアンカーマン」とまで言われたウォルター・クロンカイトの登場や、1968年に開始された看板番組「60ミニッツ」は、マローの精神を受け継ぎ、数々の政界・財界スキャンダルを暴いてきた。現在でも「60ミニッツ」は最高視聴率を維持する報道番組であり、またBBCやTBSなど各国の主要放送局と提携し、国際報道においても不動の地位を築いてきた実績は、CBSの輝かしいレガシーを物語っている。
米CBSニュースの報道スタジオの様子。かつての調査報道の象徴であった放送局の信頼性が問われている現状を象徴する一枚。
「レガシー崩壊」と批判されたトランプ氏との和解
しかし、この歴史と信頼を築き上げてきたCBSニュースは、2024年10月に放送された「60ミニッツ」でのカマラ・ハリス前副大統領インタビューを巡る一件で、そのレガシー崩壊の危機に瀕した。トランプ側は、このインタビューが「大統領選で民主党に有利になるよう意図的に編集された」と主張し、テキサス州連邦裁判所に100億ドルの損害賠償を請求したのである。
米憲法修正第1条が言論の自由を保障していることを鑑みれば、大統領による報道機関への直接訴訟は極めて異例な事態であった。法曹界ではCBSの親会社であるパラマウントが勝訴する可能性が高いと見られていたにもかかわらず、パラマウントは和解を選択した。2025年5月にはトランプ氏が引退後に設立予定の記念図書館財団に1500万ドルを寄付し、さらに7月2日にはトランプ側の弁護士費用として1600万ドルを支払うことで合意したのだ。事実上“白旗”を掲げたこの決定は、国内外の報道機関から「CBSのレガシー崩壊」という厳しい批判を浴びることとなった。
パラマウントが「忖度」せざるを得なかった背景:経営と政治の複雑な絡み合い
なぜパラマウントは、勝訴が見込まれる裁判でさえ、これほどの“忖度”に追い込まれたのだろうか。その背景には、経営上の喫緊の事情があった。パラマウントの大株主であり、会長を務めるシャリー・レッドストーン氏が病気を患い、経営からの引退と保有株式の売却を計画していたのである。
この株式の買い手に名乗りを上げたのは、オラクル創業者ラリー・エリソンの息子であり、映画「トップガン」や「ミッション・インポッシブル」続編の成功で知られるプロデューサー、デビッド・エリソン率いるスカイダンス社であった。売却額は80億ドル規模で決定していたが、CBSが放送事業者であるため、この取引には連邦通信委員会(FCC)の承認が不可欠だった。
そして、このFCCは、ブレンダン・カー委員長をはじめとする過半数の委員が当時のトランプ大統領によって任命されていた。パラマウントにとって、CBSの売却承認を確実に得るためには、トランプ政権との対立を避けることが絶対条件であった。結果として、たとえ勝訴の見込みが高い裁判であっても、売却承認のリスクを回避するために、和解を優先せざるを得なかったのである。この一件は、経営の安定が報道の独立性を脅かす可能性を示す、現代メディアの複雑な現実を浮き彫りにしたと言えるだろう。