参政党なぜ人気?佐藤優が紐解く躍進の背景とファシズム化の危険性

2025年7月の参院選で突如として頭角を現し、その後もその勢いを保ち続ける新興政党「参政党」。その「日本人ファースト」という主張は、一部で過激と受け止められつつも、特に「ロスジェネ世代」と呼ばれる今まで政治に見捨てられてきた層からの支持を集め、大きな話題となっています。外国人排斥的であるという批判もあれば、現代社会の閉塞感を打ち破る存在として期待する声もあり、その評価は大きく分かれています。なぜこれほどまでに多くの日本人が参政党に共感し、その人気はどこから来ているのでしょうか。本稿では、”外務省のラスプーチン”と称されるインテリジェンスのプロ、佐藤優氏の鋭い分析に基づき、参政党躍進の真の背景と、その内に秘められた潜在的な危険性について深く掘り下げていきます。

参政党躍進の「真の理由」:自民党の機能不全と国民の覚醒

2025年に行われた第27回参院選において、参政党は選挙区で7議席、比例区で7議席を獲得し、合計14議席を確保するという予想外の躍進を遂げました。この結果は、同時に与党である自民党(13議席減)と公明党(6議席減)の大幅な後退と対照的です。この与党の退潮と参政党の台頭を、単に自民党の「裏金議員事案」の余波として捉える見方は、事態の本質を見誤る可能性があると佐藤優氏は指摘します。

佐藤氏は、1990年代初頭から、自民党が長らく担ってきた「キャッチ・オール・パーティ(包括政党)」としての機能がすでに不全を起こしていたと分析しています。国民全体の利害を調整し、広く受け皿となるはずのこのシステムは、公明党との連立によって政策の幅を広げ、その維持に努めてきたものの、今回の参院選で「臨界点」を超えたと見ています。参政党の躍進は、既存政党の票の受け皿になったというよりも、むしろこれまで政治に無関心であった、あるいは政治的意識を持っていなかった人々が「目覚めた」結果として台頭した現象であると、佐藤氏は考察しているのです。これは、日本の政治構造そのものが抱える根深い問題が表面化したことを示唆しています。

参政党の政治集会で演説する様子。新興政党としての勢いと国民の関心の高まりを示すイメージ。参政党の政治集会で演説する様子。新興政党としての勢いと国民の関心の高まりを示すイメージ。

排外主義批判と「自己成就する予言」の懸念

現在の参政党は、その性質において「可塑性」(力を加えて変形した固体から力を取り除いても元に戻らない性質)が高い政党であると佐藤氏は述べます。つまり、そのイデオロギーや路線はまだ固まりきっておらず、今後の動きによって様々な方向へ変化する可能性を秘めているということです。

一部からは、参政党を排外主義的政党や人種(民族)差別政党であるとして激しく批判する声が上がっています。しかし佐藤氏は、このような批判が、かえって参政党を排外主義的・人種主義的な度合いを高める方向に押し進めてしまう「自己成就する予言」となる可能性を危惧しています。極端なレッテル貼りが、結果としてその政党を批判されるような存在へと変質させてしまうリスクがあるというのです。

このような状況を避けるためには、既存の政治勢力と参政党との間で、「開かれた場での丁寧な言葉遣い」と「相互に人間的な敬意を持った対話」が極めて重要であると、佐藤氏は強調します。対話を通じて、参政党が極端な政治路線へと傾くことを阻止し、建設的な方向へと導く努力が求められているのです。

非合理主義の兆候とファシズムへの潜在的危険性

参政党の主張の中には、ワクチン接種の拒否や実証的根拠に乏しい外国人嫌悪など、非合理主義的な傾向が見られると佐藤氏は指摘します。この非合理主義的傾向がさらに発展した場合、ファシズムに近い政治体制へと進む危険性を秘めているとの警告を発しています。

慶應義塾大学法学部の片山杜秀教授は、ファシズムの特徴について、戦前の日本でもファシズムを世界的な潮流と捉える見方があったことに触れ、ムッソリーニに近かった哲学者ジェンティーレの「純粋行動」という概念を引用しています。これは「理性や観念が行動を生むという西洋近代の合理主義の否定」であり、「考えるのに先行して行動がある。観念が行動を生むのではなく、行動が観念を生む」という思想です。

ファシズムはその潜在的な力をまだ使い果たしていない。だからこそ、参政党がファシズム化するのを阻止することは、私たち現代社会にとって喫緊の課題であると佐藤氏は結びます。現在の日本社会が抱える不安や不満に根差した参政党の台頭は、単なる政治現象として片付けられるものではなく、その思想の発展方向を注意深く見守り、適切な形で関与していく必要性を示唆しているのです。

参政党の躍進は、既存政治への不満と、今まで光が当たらなかった層の政治的覚醒が複雑に絡み合った結果です。その「可塑性」と非合理主義的な傾向は、開かれた対話と丁寧な議論を通じて慎重に舵取りをしなければ、潜在的なファシズムへと繋がりかねない危険性をはらんでいます。私たちはこの新しい政治勢力に対し、感情的な排斥ではなく、建設的な関与をもってその健全な発展、あるいは危険な方向への傾倒を阻止する責任があると言えるでしょう。

今週の教訓……ファシズムになる危険性を秘めている

参考文献

  • 佐藤優/片山杜秀『現代に生きるファシズム』小学館新書