天皇皇后両陛下は、この夏3度目となるご静養のため栃木県の那須御用邸附属邸を訪問されました。26日の那須到着後、前例のない特別な行事として、激戦地として知られる硫黄島の元島民である渡部敦子さん(90代)と原ヤイ子さん(94歳)やそのご家族との懇談に臨まれました。戦後80年という節目を前に、両陛下の国民への深い思いやりと、戦争の記憶を次世代へ繋ぐという強いご意思が感じられる出来事として注目を集めています。
天皇皇后両陛下が宮中茶会で各国首脳夫妻を歓迎される様子
ご多忙な公務の合間の那須ご静養
この夏、両陛下は7月に那須、8月上旬に須崎、そして今回再び那須へと、計3回のご静養日程を組まれました。愛子さまは日本赤十字社でのご公務があるため、後ほど合流される予定です。
近年、両陛下は例年の多岐にわたるご公務に加え、大阪・関西万博のために来日する要人たちの接遇、さらには戦後80年という節目の年を控え、過去の戦争の記憶を辿る「慰霊の旅」と、大変多忙な日々を過ごされています。こうした過密なスケジュールの中で、ご自身の心身のご休養はもちろんのこと、日ごろから支えている職員を休ませるという深いお心遣いから、綿密に調整されたご静養の日程が組まれたものと拝察されます。
硫黄島元島民との異例の懇談
今回の那須ご静養における特筆すべきは、到着された26日に2人の高齢女性とそのご家族と懇談されたことです。このお二人は、太平洋戦争の激戦地、硫黄島の元島民である渡部敦子さんと原ヤイ子さんです。
1945年2月から3月にかけて繰り広げられた硫黄島の戦いでは、日本軍の戦死者が2万1900人にも上るという悲惨な結果となりました。戦闘が始まる前年の1944年7月には、島民を船で本土へ避難させるという強制疎開が行われました。今回両陛下が懇談された渡部さんと原さんも、生まれ育った硫黄島を離れざるを得なかった人々です。さらに、多くの若い男性らが軍属として島に残り、熾烈な戦闘の犠牲となりました。本土に疎開した人々もまた、空襲などで命を落とすなど、その運命は過酷なものでした。
雨降る中、硫黄島島民平和祈念墓地公園で供花される天皇皇后両陛下の姿
苦難を乗り越えた那須開拓の歴史
戦後、硫黄島出身者たちは開拓団として那須へ移住しました。しかし、生まれ育った島では経験したことのなかった厳しい寒さや、慣れない土地での開拓作業は困難を極めました。渡部さんと原さんが暮らす大日向地区には、かつて二十数戸が移住したとされていますが、その過酷な環境のために離農が相次ぎ、現在も住んでいるのはわずか4戸に過ぎないといいます。
足腰が弱り、耳も遠くなっている原ヤイ子さんは、天皇陛下と雅子さまにお会いできることを深く理解し、この懇談を心待ちにされていたとのことです。ご多忙の中にもかかわらず、両陛下が硫黄島元島民との懇談を設けられたことは、過去の悲劇を決して忘れず、その経験を語り継ぐことの重要性を強く示しています。
まとめ
天皇皇后両陛下の那須ご静養中に行われた硫黄島元島民との懇談は、多忙な公務の合間を縫って実現したものであり、戦後80年という節目の年に、戦争の記憶とそれに苦しんだ人々への深い思いやりを示す象徴的な出来事となりました。この異例の交流は、皇室が国民の歴史と苦難に寄り添い、平和への祈りを次世代へと継承していく強いメッセージを内外に発信するものです。