ルフィ広域強盗事件の核心:最高幹部・小島智信が語る「闇バイト」の真実と詐欺集団の全貌

両腕に龍、足には星と「8」の文字。東京拘置所の面会室で、判決を待つ身であるにもかかわらず、軽妙な語り口で切り出したのは、「ルフィ広域強盗事件」の最高幹部である小島智信被告(47)だった。彼が語ったのは、日本中を震撼させた「闇バイト」の起源、詐欺グループの実態、そして事件の裏側に潜む複雑な人間関係である。この独占的な証言は、事件の全貌解明に向けた重要な手掛かりとなる。

「闇バイト」発案者の告白:日本を揺るがした詐欺の手口

小島被告は、自らが「闇バイト」という造語の発案者であると明かした。「キャッチーで、若者が飛びつきやすい言葉を選んだ」と語る彼の言葉通り、この言葉は瞬く間に広がり、多くの若者が犯罪に巻き込まれる結果を招いた。さらに、警察官を名乗る特殊詐欺の手口を日本で爆発的に普及させたのも、渡辺優樹被告(41)をトップとする彼らの詐欺グループだったという。

小島被告は2018年、渡辺被告率いる詐欺グループに「かけ子」として加わった。その後、彼は詐欺グループ内で回収役や金庫番として頭角を現し、組織内での地位を確立していく。リクルーターとしても活動し、「8(エイト)」や「白鳥たつひこ」といった偽名のSNSアカウントを使い、強盗の実行犯を募集。これらの実行犯は、同グループ幹部の今村磨人被告(41)や藤田聖也被告(41)へと紹介された。小島被告の役割は、詐欺グループの拡大と強盗計画の実行において不可欠なものだった。

2019年、フィリピン渡航半年後のルフィ事件最高幹部・小島智信被告。公判時と比較して体重が40kg重かった時期の姿。2019年、フィリピン渡航半年後のルフィ事件最高幹部・小島智信被告。公判時と比較して体重が40kg重かった時期の姿。

注目の公判と幹部間の対立:事件の深層に迫る証言

2023年7月、東京地裁で開かれた小島被告の公判は、「ルフィ」幹部初として世間の注目を集めた。彼は三つの強盗致傷幇助罪と10件の特殊詐欺事件における詐欺罪に問われ、懲役20年の判決(8月4日に控訴)が下された。公判では、同じくグループ幹部である藤田被告も出廷し、小島被告と真っ向から対立する主張が展開されたことは、幹部同士の複雑な関係性と事件の深層を浮き彫りにした。

筆者は、渡辺、今村両被告が強盗事件に関して黙秘を貫いていることを早期に確認していたため、事件の全貌を解明するには小島、藤田両被告の証言が不可欠であると判断した。約1年にもわたる交渉の結果、「1社・1人にすべてを話す」という条件で小島被告との面会が実現。冒頭のやり取りは公判中の7月中旬に行われ、以降、筆者は8度の面会と120枚近い手紙のやり取りを重ねてきた。小島被告の口から語られたのは、詐欺グループの全貌、強盗事件に至った動機と経緯、幹部たちの複雑な人間模様、フィリピンのビクータン収容所内での異常な生活、そして犯罪で得た金が海外の犯罪組織に奪われた経緯、さらには「JPドラゴン」との“本当の関係”など、多岐にわたる驚くべき情報だった。

犯罪の動機と変遷:詐欺師から強盗団へ

小島被告は、取材に応じる理由について次のように説明した。「帰国初日から取り調べに全面協力してきたのは後悔の気持ちからです。私にできる贖罪はすべてを証言することだと心から思っています。そして『私はルフィの一味でない』ことを世の中に伝えたかった。私はあくまで“詐欺師”なのです」。彼はまた、淡々と語り続けた。「あんな粗雑な強盗計画で人まで死なせてしまい(狛江事件)、被害者の方に対する申し訳なさが湧き上がると同時に、他の幹部は何をやっていたんだ、とも考えてしまいます。私は“渡辺教”の信者でしたが、強盗への関与を知り見切りをつけた。強制送還が決まったとき、ボス(渡辺被告)は死のうとしていました」。

この証言は、特殊詐欺グループがいかにして凶悪な強盗団へと変貌していったか、その過程を最高幹部の視点から詳細に明らかにする、稀有な犯罪組織の記録である。

小島智信の生い立ち:非行に染まった少年時代

小島被告は1977年12月10日、北海道室蘭市でタクシードライバーの父と歯科衛生士の母の間に生まれた。一つ年上の姉と共に育ったが、8歳の時に両親が離婚し、家庭環境は一変する。ギャンブル好きの父と内縁の妻との生活になじめず、非行に走るようになる。

13歳の時に窃盗で逮捕され、父に見放されて養護施設へ送られた。そこは、職員による体罰や入所者同士の暴力が横行する劣悪な環境だったという。「入所直後、いきなり職員から100発ビンタを喰らった。極寒の日に体育館で寝かされたりもした。床に大の字に寝そべった状態で二段ベッドの上から物を投げつけられる『人間ダーツ』や、バスケットゴールのリングに身体を叩き込まれる『人間ダンク』など強烈な暴力もあった。あれほどひどい環境は刑務所でも経験したことがなく、今でも忘れられません」と小島被告は語る。しかし彼は、「ですが、犯罪に手を染めたのは環境が原因ではありません。あくまで私の責任です」と、自身の過ちを深く認識していることを示した。施設を出て地元の商業高校へ進学するも、わずか半年ほどで自主退学。その後、日高町の牧場で働き、地方競馬の厩務員となったが、17歳の時に人身事故を起こし少年院へ送られることになった。

小島被告の人生は、幼少期の家庭環境の破綻から始まり、非行、施設での過酷な経験、そして再度の過ちへと連鎖していった。この生い立ちは、彼が後に「闇バイト」の考案者となり、大規模な詐欺・強盗事件の最高幹部へと至る背景の一端を垣間見せる。


参考文献

  • FRIDAYデジタル
  • 取材・文:栗田 シメイ(ノンフィクションライター)