日本の音楽シーンにおいて、今もなお絶大なカリスマ性を放ち続ける歌手、中森明菜。彼女の類稀な存在感と歌唱力は多くの人々を魅了し、伝説的なアイドルとしてその名を刻んでいます。しかし、その輝かしいデビューの裏には、知られざる苦難と、ある人物の尽力、そして彼女自身の強い意志と戦略がありました。特に、国民的オーディション番組『スター誕生!』での道のりは、決して平坦なものではなかったのです。
本記事では、ノンフィクション作家・田崎健太氏の最新刊『ザ・芸能界 首領たちの告白』(講談社)から一部を抜粋し、中森明菜が『スター誕生!』で直面した壁と、それを乗り越えてデビューを掴み取った知られざるエピソードを紐解きます。彼女がどのようにして厳しい審査を突破し、今日の地位を築き上げたのか、その真実に迫ります。
中森明菜、伝説のオーディション番組「スター誕生!」出演時の若き姿
「歌は上手いが、顔が子どもっぽいから無理」――伝説のオーディション番組『スター誕生!』での苦闘
中森明菜がまだ中学2年生だった頃、彼女は初めて『スター誕生!』の予選会を通過し、番組収録へと進みました。当時の審査は、5人の審査員が点数を発表し、合計300点を超えれば合格という厳しいものでした。しかし、初回、彼女は惜しくも合格ラインに届きませんでした。
当時を振り返り、関係者の金谷氏は語ります。「歌は上手いんです。だからテレビには出しました。でもそこで落っこちた」。金谷氏は、オーディション参加者たちに「どうしてもスターになりたいのならば勉強しなさい。歌のレッスン、本を読む、学校の勉強を頑張る、なんでもいい。友だちに『良くなったか』と聞いてごらん。友だちに『いいわよ』と言われたら、またおいで」とアドバイスを送っていました。この言葉は、後の明菜の挑戦に大きな影響を与えることになります。
粘り強い挑戦と「計算された大人っぽさ」
金谷氏の言葉を受け、明菜は1年後、再び『スター誕生!』に挑戦しました。歌唱力はさらに磨かれていましたが、結果はまたしても不合格。しかし、彼女の諦めない精神はここからでした。その翌年、高校生になっていた明菜は3度目の挑戦を決意します。
しかし、予選会の他のスタッフや審査員からは「もう3回目だから出さなくていいのではないか」という意見が上がりました。それでも金谷氏は「ぼくは今までで一番いい、光っているから出したい」と強く主張し、他の審査員たちを説得。ついに明菜は3度目の番組収録のチャンスを得たのです。
この3度目の挑戦で明菜が披露したのは、山口百恵の「夢先案内人」でした。金谷氏は「確かに良くなっていたんです。歌は上手いし、3年経って大人っぽくなっていた」と、彼女の成長を実感しました。
彼女にとって最大の壁となっていたのは、声楽家の松田トシ先生でした。松田先生は前年度、「歌は上手いが、顔が子どもっぽいから無理」と酷評しており、清楚なタイプの女性に高い評価を与える傾向がありました。しかし、明菜はこの壁を乗り越えるため、ある戦略を持っていました。3回目の出場時、彼女はロングスカートにノースリーブのサマーセーターという、前回とは異なる大人っぽい装いで登場。歌い終えた後、松田先生に対し「前回幼いって言われたので大人っぽいのを着てきたんです」と率直に伝えました。金谷氏はその姿を見て「すげえ子だな、自分がどう見えるか計算できている」と感心したといいます。この「計算された大人っぽさ」が、彼女のデビューを決定づける重要な要素となったのです。
中森明菜が厳しいオーディションを何度も挑戦し、その度に自らを磨き、戦略的に振る舞ったエピソードは、彼女が単なる「歌の上手い少女」ではなかったことを示しています。類稀な歌唱力に加え、自己プロデュース能力と逆境に屈しない精神力が、今日の伝説的な存在としての彼女を形作ったと言えるでしょう。金谷氏のような理解者の存在もまた、彼女の才能が開花するための重要な鍵であったことは間違いありません。この知られざる舞台裏の物語は、中森明菜というアーティストの深層を理解する上で、不可欠なピースとなります。
参考文献
- 田崎健太 (2025). 『ザ・芸能界 首領たちの告白』. 講談社.