2025年9月7日、石破首相は総理大臣辞任の意向を表明しました。首相は辞任理由について、「やるべきことを成した後に、然るべきタイミングで決断する」と常々述べてきたとし、アメリカの自動車関税措置に関する交渉に一区切りがついた今が、まさにその「然るべきタイミング」であると説明しました。確かに自動車の関税を15%に引き下げた功績は大きく評価されますが、石破首相が最も心血を注ぎ「やるべきこと」としていたのは、国内の地方創生であったはずです。しかし、その地方創生は未着手の部分が多く、このまま終わろうとしているのが現状です。
辞任を表明する石破茂元首相
「令和の日本列島改造」とまで称された地方創生政策の軌跡
石破政権の象徴的な政策は、「地方創生2.0」と銘打たれたものでした。この政策は、地方の活性化を通じて日本の人口減少を食い止め、長年の課題である東京への一極集中を解消するという大きな狙いを掲げていました。そもそも「地方創生」という構想は、2014年の第二次安倍晋三改造内閣時代に打ち出されたもので、当時の石破氏は初代の地方創生担当大臣に就任しています。この経緯から、彼はまさに地方創生の専門家であり、その実現は彼の政治家としてのライフワークとも言えるものでした。
石破首相の提唱する「地方創生2.0」は、以下の五つの柱で構成されていました。
- 若者や女性が安心して暮らせる生活環境の創生
- 地方経済を活性化させるイノベーションの創生
- 産官学の地方移転と創生
- DX(デジタルトランスフォーメーション)を用いた新時代のインフラ整備
- 都道府県、市町村に限定されない地域経済の成長
豊富な知識が強みである石破首相らしい、多岐にわたる全方位型の内容でしたが、地方創生に詳しくない一般国民にとっては、やや分かりづらいという側面がありました。これは、2012年に発足した安倍政権が掲げた経済政策「三本の矢」(大胆な金融政策、機動的な財政出動、民間投資を喚起する成長戦略)のような、国民に直感的に理解しやすいメッセージとは対照的でした。石破首相は、あらゆる問題点を多角的に捉え、その一つひとつの課題に真摯に向き合い、解消しようとするところに強みがある政治家に見えました。
辞任を表明した9月7日の会見で、彼は「日本の政治が安易なポピュリズムに堕することになってしまうのではないかと、その危惧を私は強めております」と発言しました。これは、外国人や財務省との対立を煽るような“分かりやすさ”で人気を得る政治家とは一線を画す、石破首相の政治姿勢を明確に示すものでした。「地方創生2.0」には、まさに石破イズムが凝縮されていましたが、その複雑さゆえに、国民への浸透が裏目に出てしまった印象があります。
石破首相は2025年1月24日の方針演説において、「楽しい日本」を実現する核心は地方創生にあるとし、これを「令和の日本列島改造」とまで表現しました。「日本列島改造論」は石破首相が師と仰ぐ田中角栄元首相が提唱したもので、全国のインフラ整備を通じて人の流れを生み出し、国土発展の起点となった歴史的政策です。しかし、石破首相の力強い言葉とは裏腹に、「地方創生2.0」の国民への印象は薄く、その構想そのものがこのまま立ち消えになるのではないかという懸念が広がっています。
石破政権の成果と残された「地方創生」の挑戦
石破政権は、アメリカとの自動車関税引き下げ交渉で明確な成果を上げ、国際的な交渉力を示しました。これは、首相が辞任の「然るべきタイミング」と判断する根拠にもなっています。しかし、国内に目を向ければ、彼の政治家としての長年の悲願であった「地方創生」は、具体的な形となる前に政権を終えることになりました。地方における人口減少の加速や東京一極集中の是正といった根本的な課題は、ほとんど手つかずのまま残されており、この国の将来を左右する重要な政策テーマが、再び宙に浮いた状態にあります。
石破政権の短い期間は、外交面での成果と、国内最重要課題であった地方創生政策における停滞という、二つの対照的な側面を残しました。「地方創生2.0」が描いた未来図は、その理念の高さとは裏腹に、国民の理解を十分に得られず、具体的な変革をもたらすに至りませんでした。この構想が潰えることなく、次世代の政治家たちに引き継がれ、真の「令和の日本列島改造」が実現されるのか、今後の日本の政治に重い課題が突きつけられています。
Source link: https://news.yahoo.co.jp/articles/3cba067f96dad27e0f57cf9326577ae1c7556e72





