日本全国でクマによる人身被害が「過去最悪ペース」で報告される中、岩手県北上市の山間にある温泉旅館で、またも悲劇が起きました。元プロレスレフェリーとして知られる笹崎勝巳さん(60)が、露天風呂の清掃中にクマに襲われたとみられ、命を落としました。残された遺品からは、笹崎さんがどれほど家族を大切に思っていたかが伺え、その死は多くの人々に深い悲しみと衝撃を与えています。本記事では、この痛ましい事件の詳細と、笹崎さんの人柄、そして彼の人生に迫ります。
クマに襲われ命を落とした元プロレスレフェリーの笹崎勝巳さん(写真左)。プロレスリングZERO1時代の写真とみられる。
凄惨な事件の経緯と捜索、そして発見
全国紙の社会部記者が説明するように、笹崎さんが遺体で発見されるまでの経緯は痛ましいものでした。10月16日午前、笹崎さんは露天風呂の清掃に行ってから行方不明となり、その付近にはクマのものとみられる体毛や血痕が残されていました。翌17日午前、露天風呂から約50メートル離れた雑木林で、ついに笹崎さんの遺体が見つかりました。近くにいたツキノワグマ1頭は、その場で猟友会によって駆除されました。
遺体は激しく損傷していましたが、その後の司法解剖の結果、笹崎さんと断定され、死因は出血性ショックと発表されました。このクマによる人身被害は、全国で深刻化する野生動物との共存問題の一端を浮き彫りにしています。
プロレス界の功労者「タイガー勝己」としての軌跡
温泉施設の従業員であった笹崎勝巳さんは、プロレス業界では「タイガー勝己」の愛称で親しまれた有名なレフェリーでした。1991年にデビューして以来、全日本女子プロレスやプロレスリングZERO1など数々の団体で活躍しました。彼の訃報には、多くの人気プロレスラーや関係者から続々と追悼の声が寄せられています。
プロレスファンの40代男性は、笹崎さんの功績を次のように語ります。「プロレスリングZERO1では運営会社の代表取締役社長も務められましたが、近年は栃木プロレスやマリーゴールドといった団体のリングにも上がっていました。派手なパフォーマンスで個性を出すレフェリーもいる中、笹崎さんは試合の裏方に徹する実直なレフェリングで高い評価を得ていました。最近は試合で目にする機会が減っていたので、岩手の温泉施設で働いていたとは驚きです。体格の良い方だったのに、それでもクマには敵わないのかと、改めて恐怖を感じています」。
家族との時間を選んだ移住、そして悲劇へ
プロレスのレフェリーは全国各地を巡業する多忙な仕事です。笹崎さんは、家族と過ごす時間を増やすため、今年春に一家で岩手県北上市に移住し、この温泉旅館で働き始めたと報じられています。彼の選択は、家族への深い愛情からくるものでした。
笹崎さんと全日本女子プロレス時代からの旧知の仲である女子プロレス団体「マリーゴールド」の代表取締役、ロッシー小川氏は、故人の人柄を振り返り「寡黙で仕事熱心。やるべきことを黙々とこなす人間でしたね。今年1月、『家族で北上のほうに行く』とマリーゴールドを離れましたが、彼の生活は常に子供中心であるという印象でした。共働きで預け先がなかったのか、娘さん二人をよく会場に連れてきていました。まだ小さかったのでプロレスのことはよく分かっていなかったようですが、父親の懸命な働きぶりは見ていたはずです。巡業にも同行させ、女子レスラーたちも可愛がっていましたよ」と語りました。
10月下旬、笹崎さんが勤務していた温泉旅館「瀬美温泉」の代表取締役である岩本和裕氏も取材に応じました。岩本氏は笹崎さんとは旧知の間柄で、かつてZERO1の運営会社代表の座を笹崎さんから引き継いだ経緯があります。この悲劇の後、瀬美温泉は休館を続けています。
まとめ
元プロレスレフェリー笹崎勝巳さんのクマによる突然の死は、プロレス界だけでなく社会全体に大きな衝撃を与えました。家族との穏やかな生活を求めて岩手県に移住した矢先の悲劇は、私たちに野生動物との共存の難しさと、そのリスクについて改めて深く考えさせます。笹崎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げるとともに、このような痛ましい事件が二度と起きないよう、適切な対策と情報共有が求められています。
参考文献
- Yahoo!ニュース: 「クマ被害で亡くなった笹崎勝巳さん 家族への想いとプロレスラーたちの追悼」 (参照日時:2025年10月27日)





