2025年は、戦後80年、昭和100年という節目を迎え、「歴史の転換期」という予測通り、日本政治はかつてない大激動の年となりました。初の女性首相誕生に加えて、1999年から26年間続いた自民党と公明党の連立(うち約23年間が自公連立政権)が解消され、結党からわずか15年余りの日本維新の会が初めて連立政権に加わるという、劇的な変化が起こりました。
激動の45日間:五幕の政変劇
この政治的変動は、全五幕、45日間にわたる劇的な展開を見せました。第一幕は2025年9月7日の石破茂首相の退陣表明、第二幕は10月4日の自民党総裁選による高市早苗総裁の選出です。続く第三幕では10月10日に公明党が連立を離脱し、政治の枠組みが大きく揺らぎました。第四幕では10月15日に自民党と維新の両党首が大筋合意を成立させ、そして第五幕である10月21日に高市内閣が発足し、新たな連立政権が誕生しました。
この政変の舞台裏では、「自公維」、「自公国(国民民主党を含む)」、「立維国(立憲民主党が国民民主党に呼びかけ不発)」、そして最終的に具体化した「自維」の四つの連立計画が水面下で激しく争奪戦を繰り広げていました。
石破政権下の水面下での連立工作
実は、この激動の序幕とも言える動きは、石破氏が辞意を表明する前から存在していました。与党が2024年10月の衆議院総選挙に続き、2025年7月の参議院選挙でも国政選挙2連敗を喫した後、同年8月に秘密裏に連立工作が進められていたのです。維新の浅田均参議院会長は、石破政権時代の青木一彦官房副長官から連立への参加を打診されたことを後に明かしました。
浅田氏からその話を受けた維新の吉村洋文代表(大阪府知事)は、2025年11月21日のインタビューで次のように語っています。「浅田さんから話があったのは事実です。私は連立を組まないと返事しました。連立を組んでも有権者と約束した維新の公約を実現できないと考えたからです。石破政権にはもはや政策推進力がないと感じていました。」この吉村氏の返答が、石破内閣の命運を決定づけた一因だったのかもしれません。
自民党の高市早苗総裁と日本維新の会の吉村洋文代表が連立政権合意書署名後に握手する様子(2025年10月20日、国会内)
維新の180度転換と連立参加への決断
吉村代表は参院選前の2025年5月23日の取材では、自民党との連立に明確に反対の立場を取っていました。「私は(自民党と連立は)やりません。自民党はもともと既得権側の政党だからです。今の自民党である限り、既得権側の政治に入ることになる。維新には何の意味もないと思っていますから。」このように発言し、既得権益との結びつきを警戒していました。
しかし、そのわずか145日後の10月15日、維新は高市政権での連立参加へと方針を180度転換しました。吉村氏だけでなく、浅田氏もかつては「わが党は理念と運動で集まっている政党。大きい組織の自民党と組めば消滅する」と語るなど、両者ともに自民党に「飲み込まれる懸念」を強く意識していたことがうかがえます。党勢が退潮傾向にあった維新が、方針を大きく転換し、この政権交代劇に「勝負」をかけた形となりました。
2025年の日本政治は、長年の枠組みが崩れ、新たな連立政権が誕生するという歴史的な一年となりました。この激動の裏側には、様々な思惑と交渉が交錯し、各党が日本の未来を見据えた決断を迫られる様子が垣間見えます。
参考文献:





