堀江貴文氏が喝破する「貯金信仰」の罠:お金に支配されない人生への道

実業家である堀江貴文氏は、著書『あり金は全部使え』(マガジンハウス)の中で、現代社会に深く根付く「貯金信仰」という常識に鋭い疑問を投げかけています。多くの人々が、銀行預金の残高が増えることこそが安心と幸福をもたらすと信じていますが、堀江氏はこれを「私たちを縛る最大の思い込み」だと喝破します。本稿では、堀江氏が指摘する貯金信仰の危険性と、それに代わる「あり金を使いこなし、時間と経験に投資する」という生き方の本質、そして「立体的な発想」の重要性について深掘りし、お金に支配されない豊かな人生を歩むためのヒントを探ります。

「貯金信仰」は私たちを騙す洗脳なのか?

世間の大半の人々は、貯金を銀行に預け、預金通帳の残高が増えることに安心感を見出し、それが幸福に繋がると固く信じています。しかし、堀江氏はこれを「完全に騙されている」「悪しき『教育洗脳』の一つだ」と断言します。彼は、銀行への貯金とは、私たちが銀行に無償でお金を貸している行為に他ならないと指摘しています。お金持ちでもない人々が、巨大な資産を持つ銀行に多額のお金を貸し続けている現状に、堀江氏は疑問を呈しているのです。

さらに、借金を絶対的に嫌う一方で、銀行への「貸し出し」には何の疑問も抱かないという矛盾した姿勢を批判し、「お金は大事」と主張する資格はないとまで言い切ります。この「貯金信仰」は、私たちが何世紀にもわたり受け継いできた「信用」に関するおかしな逆転現象の根幹にあると堀江氏は指摘します。

お金よりも「人」を信じることの重要性

堀江氏は、「貯めたお金は信じられるが、他人は信じられない」という考え方に対して疑問を投げかけます。たしかにお金がある程度の問題を解決してくれるのは事実ですが、人生においてはお金ではどうにもならない問題の方が圧倒的に多く、他人の手を頼らざるを得ない局面が数多く存在します。もし、お金があるから助けは不要だと他人を拒絶すれば、お金なんかよりもはるかに大事な何かを失ってしまうでしょう。

堀江氏は、お金より人を大事にすべきという単純な道徳論を展開したいわけではありません。しかし、お金を信用順位の最上位に置いてしまうと、私たちは常にお金に「使われる」人生を送ることになり、それは見知らぬ他人に使われるのと同じくらい、ひどくつまらない人生だという厳しい現実を突きつけます。「貯金信仰」から脱却し、銀行にお金を「貸す」ことが自身の人生に何を意味するのか、改めて自分の頭で考え直す必要があると訴えかけます。

堀江貴文氏堀江貴文氏

平面的な発想からの脱却:「立体的な発想」とは

堀江氏は、「貯金信仰」にとらわれている人々と同じくらい、「立体的な発想ができていない人」が多いと指摘します。「どうしたらお金持ちになれますか!?」といった本質を捉えていない問いに嫌気がさすと述べ、核心を突いた答えなど存在しないと一蹴します。では、「立体的な発想」とは具体的にどのようなものなのでしょうか。

彼は旅行のエピソードを例に説明します。1997年、ワールドカップ最終予選の日本対イラン戦を観戦するため、マレーシアのジョホールバルへ行こうとした際、当時の部下がクアラルンプール行きの飛行機が全く取れないという事態に直面しました。当時のインターネットは今ほど普及しておらず、グーグルマップもない状況で、堀江氏はジョホールバルがマレーシアの州都であるという先入観を捨て、紙の地図を調べました。その結果、ジョホールバルが隣国シンガポールと橋一つ越えた程度の距離にあることに気づき、シンガポール経由で行くという柔軟な解決策を導き出しました。これは、既存の枠組みにとらわれず、多角的に物事を捉える「立体的な発想」の典型例と言えるでしょう。

堀江貴文氏が提唱する「貯金信仰」からの脱却と「立体的な発想」の重要性は、お金に支配されることなく、主体的に人生を創造するための強力なメッセージです。銀行にただ預けるだけの貯金は、真の安心や幸福をもたらすものではなく、人間関係の信用や、自身の時間と経験への投資こそが豊かな人生には不可欠であると彼は強調します。固定観念にとらわれず、多角的な視点から物事を捉える「立体的な発想」を磨くことで、私たちは新たな可能性を切り開くことができるでしょう。堀江氏の言葉は、お金との健全な関係性を築き、真の自由を手に入れるための思考の転換を促します。

参考文献

  • 堀江貴文『あり金は全部使え』(マガジンハウス)