能登半島地震と二重被災:輪島市町野町の希望「スーパーもとや」の物語

早く会いにいかなければ。しかし、その場所を見るのは胸が締め付けられるほど怖い。あの惨状を目の当たりにしたとき、はたして冷静にカメラのシャッターを切れるだろうか――。能登半島地震からの復興を目指す地域を襲った、さらなる試練の物語がここから始まる。

石川県輪島市町野町にある「スーパーもとや」の本谷理知子さん石川県輪島市町野町にある「スーパーもとや」の本谷理知子さん

2024年9月21日、能登半島地震から約9カ月、石川県内で線状降水帯が能登北部を襲い、記録的な大雨をもたらした。土砂崩れが無数に発生し、復旧途上の道路は再び寸断され、多くの集落が孤立。土砂や濁流に飲み込まれ、16名の命が失われた。一歩ずつ前進してきた能登は、この「二重被災」により、振り出し、あるいはそれ以前の状況に追い込まれる甚大な打撃を受けた。

能登を襲った「二重被災」:線状降水帯の猛威

とりわけ大きな被害を受けたのが、石川県輪島市町野(まちの)町だ。山が崩壊し、流木が町の中心部になだれ込んで家々を押し倒し、川の氾濫で町全体が泥水に浸かった。住民たちの復興への努力は、再び重い足枷を背負うこととなった。この町で生活を支える希望の光「スーパーもとや」を、記者は2カ月前に取材したばかりだった。度重なる困難の中、店と人々は何を経験し、どう立ち向かっているのか。

輪島市町野町:奥能登の歴史と地理的特性

輪島市の東端に位置する町野町は、東は珠洲(すず)市、南は能登町に隣接する、のどかな田園地帯だ。半世紀前の『町野小学校百周年記念誌』には、《奥能登随一の美田であり、この広大な美田が町野の生命線をなしている》と記述され、かつて豊かな農業地域であったことがわかる。

町の中心付近には「五里分」(ごりわけ)という名の交差点がある。江戸時代の地誌『能登名跡志』には、鈴屋村から《宇出津(うしつ)へ五里、飯田村へ五里、輪島へ五里あり》と記された。これは、現在の能登町・宇出津、珠洲市・飯田町、輪島市街地のいずれからも約5里(約20キロ)という距離を示し、かつて交通の要所であったことを物語る。しかし今日では、奥能登各市街地から均等に遠いという表現の方が、その地理的孤立感をより正確に表しているだろう。

逆境に立ち向かう町野町の希望

能登半島地震と記録的豪雨による二重被災に見舞われた輪島市町野町は、今、試練の真っただ中にある。しかし、「スーパーもとや」のように、困難な状況下でも人々の生活を支え、復興への希望を灯し続ける存在がある。この物語は、地域の人々が直面した現実と、そこから生まれる確かな歩みを描く序章である。