広島市中区の雑居ビルに入る自民党の河井案里参院議員の地元事務所は、師走の慌ただしさが嘘のような静寂に包まれていた。通りから見える場所に本人のポスターや看板はない。事務所を訪ねると、応対した女性は「引っ越したばかりで…」と言葉少なだった。
「『どこにおられるんかね』とみんなで話していた。女性議員で行動力もありそうだったので、はっきり説明すればいいのに」
事務所の存在を知らなかった近くの主婦(69)は驚いた様子で語る。
案里氏は7月の参院選で初当選したが、陣営が法定上限を超える報酬を運動員に渡していたとの公職選挙法違反疑惑が浮上。10月31日に夫の克行衆院議員が法相を引責辞任し、案里氏も永田町から姿を消した。12月6日には「適応障害」で1カ月の療養が必要との診断書を党に出した。
地元では、県議時代の案里氏が当時の知事に、後援会元幹部の政治資金規正法違反事件にからんで「男らしくなさい」と辞職を迫った映像が話題に上る。
「結局、溝手さんが官邸から嫌われていたということなんじゃないか」
案里氏らに敗れた溝手顕正元参院議員会長の地元・三原市で、溝手氏秘書の津久井晴記氏(59)はポツリと漏らした。
参院選広島選挙区は、任侠(にんきょう)映画さながらに「仁義なき戦い」と称された。自民党本部は地元県連の反発にかかわらず、現職の溝手氏に加え、新人の案里氏を擁立。事実上、野党系の現職を加えた3人で2議席を争う展開になったからだ。
広島がお膝元の岸田文雄政調会長ら溝手氏の所属する岸田派(宏池会)の国会議員をはじめ、地元首長や地方議員の大半が溝手氏を支援したが、官邸と党本部は案里氏を強力にバックアップ。首相が地元秘書を広島入りさせ、菅義偉(すが・よしひで)官房長官も何度となく応援に駆けつけた。
選挙戦は「ポスト安倍」を狙う岸田氏の求心力を傷付け逆に「令和おじさん」として人気が急騰した菅氏の存在感を目立たせた。
投開票まで1週間となった7月14日、岸田氏は広島入りした首相とともに初めて案里氏の応援演説に立った。その際、首相は「池田勇人総理、宮沢喜一総理、令和の時代は岸田さんだ」と持ち上げた。
だが、派には今も「岸田氏には(案里氏の応援を)拒否してほしかった。あれを見たら派の人間は『いつか自分も(溝手氏のように)切り捨てられる』と思う」との懸念が残る。岸田氏が総裁選を戦う際、手足となるはずの派内に不信感が芽生えたというのだ。
一方、豪腕ぶりが際だったのが菅氏だった。
選挙期間中、溝手陣営は公明党の地元議員に「(公明票の)動きがおかしい。せめて半々にしてくれないと困る」と迫った。不安は的中し、最終的に公明票の大半が案里氏に流れた。
支持母体の創価学会にパイプを持つ菅氏が兵庫などで公明候補を応援する代わりに、広島では案里氏への支援を頼んだとされる。県連関係者は「選挙の後、公明の議員の顔を見なくなった」と打ち明ける。
もっとも菅氏も、今は河井氏の辞任などで勢いが衰えている。溝手陣営幹部は「(案里氏を)応援した人たちは今、みんな下を向いている」と冷ややかだ。
参院選で岸田派は溝手氏ら4人が落選し、党内では「子分も守れないようでは首相は厳しい」(閣僚経験者)と批判された。ただ、岸田氏は9月の内閣改造で派の待機組2人の入閣を首相にのませ面目を保った。岸田氏に近い県連幹部は「ケンカを売るようなことはすべきではない。焦らず仕事をしていくことがこれからにつながる」と語る。
参院選で広島は「ポスト安倍」のライバルが失速する舞台になったが、岸田氏も自身の求心力に黄信号がともった。再来年の次期総裁選への出馬を明言した岸田氏だが、来年は試練の年になる。(田村龍彦)