【話の肖像画】元郵政相・八代英太(82)(10)衆院くら替えで初入閣

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第1次森喜朗内閣でも郵政相に再任された(前列左橋)

第1次森喜朗内閣でも郵政相に再任された(前列左橋)

 〈自民党入りして初の選挙となった平成元年の参院選では、比例名簿2位で3選を果たした。しかし、7年の選挙では同16位で落選。順位を下げたのは「党が戦略上でしたこと。とやかく言わない」と再起に意欲を見せ、翌年の衆院選では東京12区から出馬。新進党から立候補した女優の沢たまきさんとの“タレントバトル”となった〉

 沢さんは、私の選挙事務所の近くに選挙事務所を構えていました。彼女は何年もかけて選挙区を回っていましたけど、私は落下傘でしたから。投開票日には新聞記者は両にらみで待ち構えていましたが、足立区では沢さんが勝ったとなったら、記者たちがバーッと沢さんの事務所に走っていった。もうだめだと思いましたが、北区では僕の方が勝っているという情報も寄せられて、沢さんとは結局約1200票差で当選しました。今までいろいろな選挙をやりましたけど、あれが一番過酷な選挙でしたね。

 〈衆院くら替え後は、衆院法務委員長などを経て、11年の小渕恵三第2次改造内閣で郵政相として初入閣。そして初の「車いす大臣」となった〉

 郵政相になることは、希望していました。スクラップ・アンド・ビルドで、だんだんと山の中の銀行も出張所も消えうせていく。しかし、島国の日本では、どこにでも郵便局はあったんです。そこを障害のある人たちの施設の拠点にしたいと思っていました。情報通信も郵政省は受け持っていましたから、パソコンがあれば、IT時代において障害のある人たちの新しい武器になる。車いすを利用しながらパソコンで、米国の友人でも国内でも情報を互いに共有できて、情報化社会の中で生きていける。手が動かなくても、言葉でもパソコンは運用できますから。新しい時代としてインターネットを重視することで、障害者の生活の武器になるという思いがありました。郵便局に情報通信の窓口もおいてネットワーク化し、「どこに行けば車いすが借りられる」とか、「郵便局にいけば分かる」といった構想を描いていました。しかし、そこに小泉純一郎さんが現れました。

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