【よみがえるトキワ荘】未来へ(6)最終回 広がる「気づきの物語」

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手塚治虫らがかつて暮らしたアパート「トキワ荘」(向さすけさん提供)

手塚治虫らがかつて暮らしたアパート「トキワ荘」(向さすけさん提供)

 「あんなきったないアパート、見たことねえ」

 「トキワ荘」の地元・豊島区の南長崎三丁目北部町会長、赤星征夫さん(75)は、父親の勝司さんの言葉を思い出して笑う。勝司さんは表具店を営み、トキワ荘のふすまも張り替えていた。「建物が汚いのではなく、漫画家が部屋を汚していて、ふすまもぼろぼろだったという話を聞きましたよ」

 赤星さん自身は子供のころから手塚治虫の「鉄腕アトム」などの漫画に親しんだが、トキワ荘が身近にあることを社会人になるまで知らなかったという。地域住民の一人は「昭和60年代に藤子不二雄(A)先生の『まんが道』がドラマになったときに、地元でトキワ荘が一気に有名になった」と明かす。

 「としま南長崎協働プロジェクト協議会」の足立菊保会長(84)は、会社員時代は「朝早く出て夜遅く帰る生活で、漫画になじむ余裕はなかった」と振り返る。トキワ荘の価値を実感したのは、平成27年2月に地元で開かれた、手塚と親交があった漫画研究家のフレデリック・ショット氏の講演会だったという。「漫画で日本文化を知ったという話に、漫画が人の心に訴える力を感じた」と足立さん。今は「アニメ、漫画の原点がトキワ荘。トキワ荘は人間の可能性を引き出す場所になっていたのでは」と力を込める。

 この連載では、「かつての街は」「復元への歩み」「『聖地』の模索」「未来へ」の各テーマで、トキワ荘をめぐる街と人々の歩みを追ってきた。それは、地域の人々がトキワ荘の価値に、漫画の持つ力に、街が持っていた宝物に気づいていく過程を、記者が追体験することでもあった。

 取材で、こんな言葉も聞いた。

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