【経済インサイド】家庭用プリンターでオタク応援、キヤノンが“同人誌作戦”





キヤノンの「おうちでつくる同人誌」プロジェクトについて説明するインクジェット事業本部の藤長誠也さん(右)と鈴木千秋さん=東京都大田区のキヤノン本社(桑原雄尚撮影)

 「イベントに参加できるのはまだ先になりそうですが、何か創作したいな~という気持ちがあります」

 4月上旬、新型コロナウイルス感染拡大の影響で「コミックマーケット」など同人誌即売会が相次いで中止になる中、キヤノンの公式ツイッターアカウントの一つ「おうちでつくる同人誌」はこう書き込み、発表の場を奪われた「同人作家」たちの心情を代弁した。同アカウントは同人作家の間では知る人ぞ知る存在で、現在約7000のフォロワーがいる。

 「おうちでつくる同人誌」は、キヤノンの家庭用インクジェットプリンターを活用して自宅で同人誌を作れるサービスを提供するプロジェクトだ。同人作家として実際に活動する社員を中心に平成29年に社内公認のプロジェクトとして立ち上がり、30年2月に公式サイトを開設。キヤノンのプリンターで同人誌を手軽に印刷できるソフトや、即売会で使用するポスターや値札などのひな型を無料で公開しているほか、ツイッターの公式アカウントで同人誌作成の便利な情報などの発信も随時行っている。

 冊子に割り付けやすくするために元原稿を拡大・縮小する印刷ソフトの機能など、同人作家である社員自らが作業をする中で必要と考えた“かゆいところに手が届く”サービスが多い。 キヤノンのプロジェクトのメンバーには、同人誌をつくっている人もいる。立ち上げを主導したインクジェット事業本部の藤長誠也さんは「もともとここに市場があるから始めたのではない。同人誌の作成に困っている作家たちを、自社の技術で応援したいという思いで始まった」と振り返る。

 ただ、社内プロジェクトとするには上層部の理解も必要だった。熱狂的な「オタク」が存在する国内の同人誌市場は安定的に数百億円規模で推移しているとされ、藤長さんらは「デジタル化が進んでも紙の残る市場だ」などと家庭用プリンターの活用先として経営上の意義をアピールし、承諾を取り付けた。その狙いは徐々に当たり始め、昨年末に推奨のプリンターや用紙などをセットにした「同人作家応援セット」を同社のオンラインショップで販売したところ、「想像以上に好評だった」(プロジェクトメンバーの鈴木千秋さん)という。

 キヤノン以外でも同人誌市場に注目している企業は少なくない。キヤノンとともに国内の家庭用プリンター市場を争うセイコーエプソンは、自社サイト内に「クリエイター向けポータル」というページを設け、同人誌印刷のコツを解説。同人作家のインタビューや対談なども掲載している。

 同人誌はニッチな分野でもあるが、各社が関心を寄せるのは国内の家庭用プリンター市場をめぐる厳しい状況が背景にある。IT調査会社「IDC Japan」(東京都千代田区)の市場予測によると、国内で主に家庭で使用されるインクジェットプリンター(複合機も含む)は、(1)スマートフォンの普及によるプリント機会の減少(2)電子メールやソーシャルネットワークなどの影響による年賀状の減少(3)機器の性能が成熟化したことに伴う買い替え期間の長期化-などの影響で、出荷台数が継続的に減ると分析。出荷額も平成30~令和5年の間で4.8%減少すると予測している。

 その一方で明るい兆しがないわけではない。キヤノンが4月23日に発表した2年1~3月期連結決算で、新型コロナウイルス感染拡大に伴う在宅勤務・学習の増加でインクジェットプリンターは販売台数が伸長した。

 一時的な特需でもあり、年間でみると新興国の景気減速予想で需要減となる見通しだが、家庭用プリンター市場で新型コロナの影響を逆手に取れる可能性はある。

 同人誌市場をめぐっても、新型コロナでヒト、モノの動きがなくなる中、オンライン上で「エア即売会」などとして仮想イベントを開く動きが出ている。同人誌の印刷需要も引き続き見込める。

 藤長さんは「キヤノンが同人市場に攻めてきたと受け止められたくない。同じ仲間として同人作家を応援したい」と強調する。同人作家たちの熱い思いが家庭用プリンター市場を救う一助となるのか注目だ。(経済本部 桑原雄尚)



Source link