【主張】南北宣言20年 太陽政策は間違いだった


 韓国の故金大中大統領と北朝鮮の故金正日総書記は2000年6月、初の南北首脳会談を開き、平和的統一を目指すとうたった「南北共同宣言」を15日に発表した。

 金大中氏は、対決や締め付けより、交流や支援が北朝鮮の警戒心を解き改革・開放を促せるとして「太陽政策」を掲げ、融和路線を進めた。だが、北朝鮮の異形ぶりに変わりはない。

 20年間の顕著な変化は、北朝鮮の軍事的脅威が増大したことである。東アジアの安全保障環境は、一層悪化している。

 北朝鮮は国際社会との非核化の約束を破り、06年以降、6度の核実験を実施し、大陸間弾道ミサイル(ICBM)級を含む弾道ミサイル発射を繰り返した。

 ストックホルム国際平和研究所によると、今年1月の北朝鮮の核弾頭数は30~40個で昨年の20~30個から増強した。この現実から目を背けるわけにはいかない。

 太陽政策の下、北朝鮮国内で韓国企業が運営する開城工業団地など経済協力事業が実施され、北朝鮮に収益がもたらされた。

 これらの支援は、南北の和解に役立つよりも、核開発への大量の資金投入を可能にした。

 太陽政策は韓国の左派、金大中政権から続く盧武鉉政権(03~08年)に継承され、文在寅現政権の融和路線へとつながっている。

 核戦力を増強した北朝鮮に対して日本や米国は「最大限の圧力」を掲げて、強力な国連制裁など厳しい態度で臨み、金正恩政権を非核化交渉に引き出した。

 だが、初の米朝首脳会談から2年がたち、非核化交渉は行き詰まっている。にもかかわらず、文政権だけが北朝鮮にこびるように手を差し伸べている。日米による対北連携を乱し、北朝鮮の背後にいる中露を利する、極めて危うい構図である。

 北朝鮮は、韓国の脱北者団体が体制批判のビラを飛ばしたことに反発し、南北の全通信回線を遮断したほか、太陽政策のシンボルである開城工業団地を完全撤去するとも警告した。

 融和路線と決別するよい契機である。対応に苦慮していては北朝鮮の思うつぼだ。ましてや、北朝鮮の意に沿う脱北者団体の取り締まりなどもってのほかである。

 太陽政策では、非核化に導けない。20年を経ての反省を生かさなくてはならない。



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