【聞きたい。】橋本宏さん『普天間飛行場、どう取り戻す?』 現実主義から解決の糸口を

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インタビューに応じる橋本宏・元シンガポール大使=東京都千代田区(佐藤徳昭撮影)
インタビューに応じる橋本宏・元シンガポール大使=東京都千代田区(佐藤徳昭撮影)
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 □『普天間飛行場、どう取り戻す?対立か協調かの選択肢』

 「沖縄の基地負担軽減は国民的課題」-。帯に書かれた推奨の言葉は、外交評論家の岡本行夫氏による。

 岡本氏は4月末、出版の前に新型コロナウイルスで急逝した。「同じ高校、大学、外務省を歩んだ4期後輩。沖縄の問題にともに心血を注いだ戦友でした」

 自身は外務報道官時代の1996年、橋本龍太郎首相が米軍普天間飛行場の返還を求める沖縄の声をクリントン大統領に伝えた日米首脳会談に随行した。2001年からは沖縄担当大使として地元や在日米軍との調整に約2年間奔走した。

 一方の岡本氏は橋本内閣の首相補佐官時代に普天間移設に情熱を注いだ。帯の言葉は「沖縄問題についての岡本君の遺言になってしまいました」。

 普天間飛行場の「辺野古移設が唯一の解決策」とする政府と「辺野古新基地反対」を訴える沖縄県。対立が続く間に人々の関心も離れ、「このままでは沖縄県民が置き去りにされる。双方が歩み寄れる選択肢はないか」と筆をとった。

 感情や理想論を排して「現実主義」から解決の糸口を考え抜いた。「本土も沖縄も多数が支持する日米安保体制」を前提に、「本土並みの米軍基地負担軽減」という復帰以来の県民の願望を実現に近づける中期的なアプローチである。

 例えば、普天間返還と辺野古移設によって県民の米軍基地負担は増大するのか減少するのかを、政府と県が共同で検証してはどうか。「政府と県の相互協力の第一歩になるはず」

 2月初め、「本の帯を書いてほしい」と岡本氏に依頼すると「喜んで」の返事。メールの中で、岡本氏は自ら関わった普天間の代替施設の設計が「最後は政府の一部の反発に遭い挫折した」と打ち明けた。

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