茶色い濁流が瞬く間に民家を飲み込み、次々と土砂崩れが発生した。梅雨前線が停滞した影響で熊本、鹿児島両県を見舞った記録的な大雨。住民は轟音(ごうおん)とともに急流が集落を襲う様子を目の当たりにした。「こんなことになるとは」。熊本県球磨村で被災した産経新聞社員が、一部始終を語った。
■大きな石がぶつかるような音が
猛烈な雨が降った4日、父親の命日に合わせて東京から熊本県球磨村の実家に帰省していた。
「ゴロゴロゴロ…」
午前1時ごろ。家のそばを流れる球磨川の支流・芋川の方から、大きな石がぶつかり合って流れるような、不気味な音を聞いた。
雨脚は3日夕ごろから強まり始め、芋川の水位は徐々に上がっていたが、この時点ではさほど高くなかった。比較的新しい堤防が建設されていたこともあり、「まだ大丈夫だ」と、いったんは就寝した。
■堤防に迫る水位、道路に水が…
だが、4日午前3時45分ごろに携帯電話のエリアメールで目を覚ました。家の外の川の様子を見ると、10メートルほどの高さの堤防に迫る勢いで水位は上がっていた。
5時ごろには道路に水が入り込みはじめた。
「このままではまずい」。
母親(80)と弟(49)とともに避難を開始した。隣に住む一人暮らしの高齢者を車に乗せて、避難所となっている近くの高齢者福祉施設を目指した。
だが、途中で車がエンストを起こして立ち往生した。車外に出ると、水は膝上のあたりまで迫っていた。ボランティアの若者の助けも借りて、必死に避難所を目指した。
■1階は完全に水没「残っていたら…」
やっとの思いで避難所にたどり着くと、40人ほどが身を寄せていた。新型コロナ禍での災害発生とあり、みなマスク姿だった。誰もが不安そうな表情を浮かべていた。
午前10時過ぎには雨も上がり、晴れ間も見えてきたが、なかなか水位は下がらなかった。ようやく家に戻ったのは午後3時ごろだった。
2階建ての自宅の1階部分は完全に水没していたとみられ、冷蔵庫やタンスはひっくり返り、天井には、机に置いてあった郵便物が張り付いていた。
「残っていたら命はなかった。こんなことになるなんて」(清藤拡文)
