今年は戦後75年。昭和20年3月、米軍が沖縄に上陸して始まった「沖縄戦」を、生き残った住民の証言などで描いた映画「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」(太田隆文監督)が今月25日に公開。本編のナレーターを務める俳優の宝田明さん(86)は、自身も満州(現中国東北部)ハルビンで壮絶な戦争体験をしている。宝田さんに戦争や作品に対する思いを聞いた。(水沼啓子)
宝田さんは、満州で終戦を迎えた。ほどなくしてソ連軍が侵攻。ハルビン駅近くに停車する列車に近づいたときソ連兵に突然、右腹をダムダム弾で撃たれた。2、3日すると鉛毒で傷口の化膿(かのう)がどんどんひどくなった。
近くに住む元軍医が火にあぶった裁縫用ハサミで傷口をザクザクと十字に切り、麻酔なしで弾丸を取り出すという荒療法で命を取り留めた。「死ぬ思いでした。今でも雨期が近づくと傷口が痛むんですよ。腹に中央気象台の分室があるようなもの」と苦笑いする。
また、同じ満鉄の社宅に住む日本女性が買い物帰りに2人のソ連兵に乱暴される現場を目撃したことも。「その奥さんはその後、半年ほどして日本に帰ることになったんですが、博多に上陸するまで精神状態は錯乱したままだった」という。
「今もロシアの映画やバレエは、吐き気をもよおすほど許せない気持ちが湧き起こるので見たくない」と身体の傷だけなく、心に負った傷も決して癒えることはない。