民主化と本土化 李登輝氏の2つの遺産 矢板明夫





台北市内のホテルで、車椅子に乗り支持者と握手する李登輝元総統=2019年10月19日

 知人の台湾の大学教授は李登輝元総統の写真入りのキーホルダーを大事に20年以上も使っている。1996年に台湾で初めて直接総統選挙が実施されたとき、候補だった李氏の陣営が作った記念品だという。それを見ると、当時の幸せな気持ちを思い出せるからだと説明している。

 この教授は青年期に米国に留学したが、中国人とよく間違えられて肩身の狭い思いをしたという。李氏が95年に米国を訪問し、大学で講演したことで台湾の存在が米国に広く知られ、その翌年に李氏が主導した民主化が世界から高く評価された。「台湾人であることを初めて誇らしく思った」といい、その年の李氏の就任演説を聞いたとき、涙が自然とこぼれたという。

 李氏が台湾に残した大きな業績は2つあるといわれている。1つは民主化を実現させたこと、もう1つは、本土化政策を推進して台湾人意識を広げたことである。

 李氏の後任として台湾の総統に就任した陳水扁氏によれば、この2つによって、台湾はその後の中国の激しい統一工作に抵抗し、中国に併合されずに済んだ大きな原因となった。

 一方、この2つのことは中国を強く刺激し、中国が李氏を「台湾独立運動の父」と決めつけ、激しく批判し続ける理由となった。李氏は現役時代から両岸対応に追われたため、残念ながら中国からの軍事的、外交的な圧力に対して有効な対策をとれなかったことも事実だ。

 李氏が総統を退任した直前の99年に打ち出した「二国論」(中国と台湾は特殊な国と国の関係にある)は、李氏の対中政策の集大成といわれている。それを憲法に盛り込むことは李氏にとっての悲願だったが、中国の猛反発で実現できなかった。当時、李氏のブレーンで、現在の総統の蔡英文氏は「二国論」の原案作りから深く関わっていたとされる。

 今の蔡英文政権は基本的に李氏の対中路線を継承しているが、当時の李氏と同じように、中国とどう向き合うのか、いまだに頭を悩ませている。

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