女優、梶芽衣子がタランティーノ監督に放った一言とは 映画「罪の声」で健在ぶりをアピール

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女優、梶芽衣子がタランティーノ監督に放った一言とは 映画「罪の声」で健在ぶりをアピール

 代表作の「女囚さそり」シリーズなどで見せたクールな印象も強いが、生まれは東京・神田。歯に衣(きぬ)着せぬ言葉をポンポンと繰り出すさまは、まさにチャキチャキの江戸っ子だ。今年で俳優生活は55年を数え、梶芽衣子は「やることがないとダメないタイプ。じーっとしてる自分なんて想像もつかない」と笑顔で話す。

 スカウトされたことをきっかけに芸能界入りしたが、当初は「やめようと思っていた」日々の連続。現場でもまれ、毎日のように嫌みや罵声をぶつけられるうち、「負けず嫌いから、次第にその気持ちが『悔しい』になり、いつしか『やってやる!』に変わっていった」と振り返る。

 高校を卒業した1965年に日活に入り、本名の太田雅子名義で映画「悲しき別れの歌」でデビューした。その後、現在の芸名に改名し、1970~71年に公開された「野良猫ロック」シリーズのヒットでスターに。同社を離れた後に主演した「女囚さそり」「修羅雪姫」シリーズなども人気を呼び、斜陽期にあった日本映画の一角を支えた。

 「寺内貫太郎一家」などのテレビドラマでも活躍し、女優として確たる地位を確立する一方、歌手としてもヒット曲を放つなど、バラエティーに富む活動を展開。出演作は海外でも人気を呼び、梶が歌う「修羅の花」と「怨み節」を映画「キル・ビル」で使ったクエンティン・タランティーノ監督をはじめ梶ファンを公言する海外の映画人も多い。

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