蘇るゾンビスローガン、習近平氏の「抗米援朝」とアメリカへの“警告”

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蘇るゾンビスローガン、習近平氏の「抗米援朝」とアメリカへの“警告”

中国で70年前のスローガンが息を吹き返し、大宣伝されている。それが「抗米援朝(米国に抗い、北朝鮮を助ける)」だ。朝鮮戦争当時、アメリカを中心とした国連軍と中国人民志願軍との戦闘を「国を守る正義の戦い」と称え、国を挙げて支えようと呼びかけるスローガンで、熱狂的な大衆運動が巻き起こった。

【画像】1950年10月鴨緑江を渡る中国人民志願軍

朝鮮戦争は1950年6月25日、北朝鮮が38度線に武力侵攻を仕掛けて始まった。当初は北朝鮮軍がソウルを占領するなど優勢だったが、アメリカが参戦すると形勢は逆転した。追い詰められた北朝鮮に救いの手を差し伸べたのが中国だ。同年10月19日、中国は人民志願軍を派遣し北朝鮮に加勢した。志願軍とは名ばかりで実態は中国の人民解放軍だ。その後、戦況は38度線を挟んで膠着状態に陥り、53年7月に休戦協定が結ばれた。

建国当時の中国はアメリカの足元にも及ばない弱小国だった。圧倒的な国力の差にもかかわらず休戦に持ち込んだことを、中国側は「アメリカ帝国主義の侵略に対する偉大な勝利」と宣伝している。また、中国の力を世界に示したとして、朝鮮戦争で中国軍が初勝利を収めた10月25日を「抗米援朝」記念日と定めた。

朝鮮戦争を通じて中国と北朝鮮は血で結ばれた同盟となり、「口唇」の関係、すなわち切っても切れない特別な関係と位置づけられてきた。それを明文化したのが1961年に締結された中朝友好協力相互援助条約だ。北朝鮮の金日成首相(のちに国家主席)と中国の周恩来首相が署名した。条約の第2条には中国と北朝鮮のいずれかが攻撃された場合、相互防衛するという規定がある。

「両締約国は共同で全ての措置を取り、いずれか一方の締約国に対するいかなる国の侵略も防止する」

「いずれか一方の締約国がいずれかの国または同盟国家群から武力攻撃を受け、それによって戦争状態に陥ったときは、他方の締約国は直ちに、持てる限りの総力を挙げて、軍事的その他の支援をするものとする」

つまり、北朝鮮がアメリカなど他国に武力攻撃された場合、この規定によって中国が武力介入することになる。両国は文字通り「戦友」であり血盟の絆は揺るぎないものだった。しかし、中国が改革開放に舵を切り、冷戦が終結すると、その関係は次第に形骸化していく。それに伴い「抗米援朝」のスローガンも風化していった。

筆者が北京に駐在していた時期(2013~17年)、中国はむしろ北朝鮮への特別扱いをやめ、「普通の国」の関係に見直すべく方針転換を図っていた。金正恩朝鮮労働党委員長は習近平政権の意向を無視して核ミサイル開発を強行し、中朝関係は冷え切っていた。対照的に米中は蜜月関係にあり、訪中したトランプ大統領のために故宮を貸し切るなど破格の待遇でもてなした。

中国側から、相互援助条約は必ずしも「武力介入」を意味しない、とする見解が出始め、各地の「抗米援朝」記念館も改修の名目で事実上閉鎖状態となるなど、「抗米援朝」は過去の遺物となりつつあった。2015年の朝鮮戦争参戦65年では式典もなく、メディアも非常に地味な扱いだったと記憶している。それがなぜ突然復活し、ここまで脚光を浴びることになったのだろうか。

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