「もたもたしていたら、こうなると思ってた」はバーナード・ショーの有名な墓碑銘だ。迫ってくる死までも演劇のセリフ式に処理した作家のユーモアに笑いが出る。ただ、文在寅(ムン・ジェイン)大統領がもたもたして「被告文在寅」の身分になれば、みんなあざ笑うだろう。一部のムンパ(文大統領の熱烈支持者)という名で幻想の中に暮らす人たちは「検察総長は大統領の懲戒処分に従わないというのか」と怒りを感じているだろうが、それは違う。文在寅大統領がもたもたして自ら招いたことだからだ。
文大統領が行政裁の被告に転落するシナリオは、10日に開かれる法務部の検事懲戒委員会が事前に自分たちが組んだ脚本通りに尹錫悦(ユン・ソクヨル)検察総長に対する解任・免職・停職・減俸のうち一つを選択し、続いて大統領が気の毒な表情を演出しながら懲戒案に署名する瞬間、作動するだろう。尹錫悦総長が懲戒処分の無効を請求する訴訟を起こすのが明らかであるからだ。この場合、懲戒の署名権者、すなわち懲戒の完成者であり懲戒の執行者である文大統領が訴訟の被告になるのは自明だ。文大統領は1年半前、「我々の総長様」と言いながら任命した検察総長に訴えられるということであり、この上なく恥ずかしいことだ。
さらに文大統領が署名するとみられる尹総長の懲戒の事由も問題が多い。すでに同じ内容の検察総長職務排除事由が行政法院のチョ・ミヨン部長判事に排斥されている。チョ判事は「検察総長が法務部長官に盲従する場合、検事の独立性と政治的中立性は維持されない」という痛烈な判決文を出した。大統領が敗訴するのが明らかな特定行政事案に署名するしかない状況に置かれることになったとすれば、誰がその責任を負うべきなのか。狂乱の剣の舞をする秋美愛(チュ・ミエ)法務長官をあらかじめ切っていたとすれば、こうした状況を迎えなかったはずだ。秋長官の不吉な動きに耐えかねた法務部次官が辞表を出す時まではまだ解決方法があった。その時に秋長官の検事懲戒委の構成をやめさせるべきだった。秋長官の勢いに押されたのだろうか。大統領がもたもたしていかなる措置も足らず、検察総長が自ら懲戒委の違憲性を判断してほしいと憲法訴訟を起こした。
文大統領がもたついたことで各機関で破裂音が出ている。尹総長の最初の法理は、懲戒委が検察総長を対象にする場合、懲戒請求権者と議決権者が事実上一致する裁判になるということだ。これは基本的に公正でない。すなわち、検事が懲戒対象の場合、検察総長が懲戒請求をし、法務部長官が懲戒委を通じて議決することによって請求と議決が分離する。しかし検察総長が対象である場合、懲戒請求と議決ともに実質的に法務部長官の同一人が遂行する結果が表れるが、憲法上、公正に判断を受ける権利が剥奪される。
尹総長の2つ目の法理は、軍や公務員の場合、懲戒対象よりも職級が高い人で懲戒委が構成されるが、今回の事件の懲戒委員の中には法の不備のため検察総長より職級が低い検事が入るという点だ(検事懲戒法第5条2項)。
法務部長官が検察総長を法で懲戒する事例が韓国で初めて生じている。したがってこれを予想できず作られた検事懲戒法の関連条項もこの際、整備される必要があるだろう。繰り返し常識の限界を越える秋長官の一方的な行動が逆説的に法令の進化をもたらすかもしれない。
文大統領はもたつき、秋長官も切ることができず、懲戒委も中断させることができなかった。その結果、尹総長が出す懲戒処分取り消し訴訟の被告となる状況を迎えた。こうした形で進めば今後、さらに深刻な事態を迎えるかもしれない。レームダックが急速に進み、執権勢力内で孤立が深まるだろう。多くの容疑で捜査対象に浮上することも考えられる。
チョン・ヨンギ/中央日報コラムニスト