「あなたの新聞を通して日本社会に問いたいことがある」。ルカシェンコ大統領(66)の6選が発表された、8月9日の大統領選の結果に対する抗議活動が続く旧ソ連のベラルーシ。選挙から3カ月がたったのを機に、抗議を主導する反体制派幹部の一人、パベル・ラトゥシコ元文化相(47)にインタビューした時のことだ。日本政府の対応に話題が及ぶと、険しい口調でこう迫られた。「日本社会は独裁政権を支持するのか」と。
なぜベラルーシの反体制派の目に、日本が独裁政権を支持しているように映るのか。後述するように、最大の理由は日本の新任大使がルカシェンコ氏に信任状を奉呈したことにあるのだが、この問題を通して、遠く離れた東欧の小国を揺るがす政治危機の意味を考えてみたい。
◇やまぬ抗議活動と「軍事独裁」化するルカシェンコ政権
1994年からルカシェンコ氏が強権政治を続けてきたベラルーシでは8月の大統領選後、多くの市民が選挙の不正を訴え、ルカシェンコ氏の退陣を求める抗議デモが続いている。政権側は治安部隊を使って強硬に取り締まっており、拘束者は人口約940万人に対して延べ約3万人に上ると言われている。それでも人々はルカシェンコ政権への抵抗の象徴である白赤白の旧国旗を掲げ、抗議の声を上げるのをやめない。「抗議に賛同する人の数はむしろ増えている」(政治評論家のカルバレビッチ氏)と指摘する専門家もいる。
この抗議活動を主導する反体制派の団体「調整評議会」で幹部を務めるのが、ラトゥシコ氏だ。元々はルカシェンコ政権で駐ポーランド大使や駐仏大使などを歴任した外交官だった。しかし、8月の大統領選直後に俳優たちが治安当局の暴力に抗議してストを始めたことを支持し、国立劇場の館長職を解任された。その後、ルカシェンコ氏の退陣を求める反体制派に転じると、当局から拘束の脅しを受け、9月に隣国ポーランドへ脱出。現在は国外から抗議活動を支える理念的支柱になっている。
「軍事独裁政権ができあがった」。インターネット電話「スカイプ」で取材に応じたラトゥシコ氏は今のベラルーシの状況を強く非難する。
ルカシェンコ氏は政敵を弾圧する強権的な統治手法により、国際社会から「欧州最後の独裁者」と批判されてきた。一方、ソ連崩壊直後の混乱の中から国を立て直し、国民生活を向上させたことで国内では安定的な支持を維持していた。ただ、近年は最大の貿易相手国であるロシアの経済が原油価格の低迷や欧米の制裁で停滞し、その影響はベラルーシにも波及した。インターネットの発達とともにルカシェンコ氏に否定的な情報が広まり、国民の不満が高まっていた。
危機感を募らせたルカシェンコ氏は政府高官に「シロビキ」と呼ばれる軍や治安機関の出身者を重用した。大統領選後に抗議活動が広まると、その傾向はさらに強まった。治安部隊がデモ参加者を集団で暴行したり、拘束者に性的暴行を含む拷問を行ったりする事例が相次いで報告されている。ラトゥシコ氏は「当局の暴力に対し、市民からはすでに2000件以上の告訴が出されたが、治安機関の職員が刑事責任を問われた事例は一つもない。これは事実上のファシスト体制だ」と話す。
◇ルカシェンコ「大統領」と握手した日本大使
インタビューの中で、ラトゥシコ氏が「あなたたち(日本の国民)は正しいと思っているのか」と語気を強めた場面があった。11月3日に首都ミンスクで行われた信任状奉呈式についてのことである。信任状とは、新任の大使が任命を証明するために母国から持参し、駐在する国の元首に提出する外交文書だ。ベラルーシでは元首である大統領に提出される。3日の式典では日本の徳永博基・駐ベラルーシ大使がルカシェンコ氏に信任状を渡し、握手する様子が国営メディアで報じられた。
在ベラルーシ大使館によると、徳永氏は2019年9月に特命全権大使に任命され、翌10月に当時の安倍内閣が信任状を閣議決定している。信任状の宛先はルカシェンコ氏となっていた。
その後、新型コロナウイルスの感染拡大などのため奉呈式は延期され、10月下旬になってやっと開催が決まった。「外交儀礼上の原則に従って、あらかじめ定められた宛先であるルカシェンコ大統領に奉呈された」と大使館側は説明する。
だが、ベラルーシ大統領府によると、徳永氏と共に奉呈式に参加したのは、バチカン、トルコ、イラン、シリア、ベネズエラ、そして北朝鮮の6カ国の大使。バチカンを除けば、いずれも独裁体制や強権的な統治を欧米から批判されてきた国々ばかりだ。この中にG7(主要7カ国)の一国である日本が参加するのは確かに違和感を覚えずにはいられない。
在ベラルーシ大使館の担当者は「式典への参加を断った国があるかは分からない」と話すが、外交官出身のラトゥシコ氏は「本国での協議を理由に、大使を一時召還することもできたはず」と日本政府の対応に疑問を投げかける。そしてこう続けた。「世界の主要国の多くは、不正な選挙に基づくルカシェンコ氏の6期目の大統領就任の正当性を認めていない。もはや大統領ではない人物に信任状を奉呈するとはどういうことなのか」
◇「暴力停止」や「民主主義の順守」は求めるが…
日本政府もベラルーシで続く政治危機に何の対応もしてこなかったわけではない。外務省は大統領選直後から4度にわたり報道官談話を出し、ベラルーシの当局に市民への暴力を停止することや民主主義の原則を順守することを呼びかけてきた。ルカシェンコ氏が9月23日に6期目の大統領就任式を強行した直後には遺憾の意も表明、ベラルーシ当局に力による弾圧を停止し、国民との対話に取り組むことを改めて求めた。こうした立場は奉呈式で徳永氏からルカシェンコ氏に直接伝えられたという。
ただ、日本政府は、現在のルカシェンコ氏に大統領としての正当性を認めるかどうかの判断は避けている。複数の日本の外交関係者に意見を聞いたが、そのうちの一人は「選挙に不正があったとは思うが、それが選挙結果をひっくり返すほどの規模だったのか、確証が得られないからだ」と苦しい胸の内を漏らした。
過去のベラルーシ大統領選では、日本がオブザーバー国として参加する全欧安保協力機構(OSCE)の国際選挙監視団に日本人の選挙監視員を派遣してきた。だが、今回の大統領選ではベラルーシ政府が直前まで国外からの監視団へ招待状を出さなかった。OSCEは準備の時間が足りないことを理由に監視団の派遣を断念し、日本も監視員を送り込めなかった。外交関係者は「今回は選挙の不正を自分の『目』で確認できなかった」と振り返る。
日本が判断を避ける背景には、ルカシェンコ政権に対する欧米諸国との温度差もありそうだ。ベラルーシと地理的に近い欧州ではこれまでもルカシェンコ政権による政敵の弾圧や人権侵害に神経をとがらせ、制裁などの措置をとってきた。今回もベラルーシと国境を接するリトアニアやポーランドが母国を脱出した反体制派の活動家を受け入れ、ルカシェンコ政権に対する圧力を強めるよう他の欧州連合(EU)加盟国に呼びかけている。米国も06年から選挙の不正などを理由にルカシェンコ政権への制裁措置を続けてきた。欧州とロシアの間に位置するベラルーシは欧米とロシアの角逐の場の一つであり、ルカシェンコ政権への圧力には後ろ盾となっているロシアへのけん制の意味も込められているだろう。
一方、外務省によると、日本のベラルーシに対する貿易額は輸出額が18年で約30億円、輸入は約20億円程度にとどまる。在留邦人は6月時点でわずか53人しかおらず、徳永氏の就任まではベラルーシに常駐の大使もいなかった。
ベラルーシが最大の被害国となった86年のチェルノブイリ原発事故では、日本が医療支援などに取り組んだ。11年の東京電力福島第1原発事故では、ベラルーシが廃炉や復興に向けた技術支援を行ったものの、日本とベラルーシの関係は欧米よりも薄い。
また、日本はロシアと平和条約締結や領土問題解決のための交渉を続けている。対露けん制の意味を込めてベラルーシへの圧力を強める欧米諸国とは距離を取り、ルカシェンコ政権の正統性に関して判断を避けた方が日本の国益に沿うという判断もあったのかもしれない。
◇大統領選に不正はあったのか
ベラルーシの中央選挙管理委員会は、8月の大統領選でルカシェンコ氏が80・1%の得票率で圧勝したと発表した。だが、選挙戦では、逮捕された映像ブロガーの夫の代わりに出馬し、「当選から半年後に改めて公正な選挙を実施する」と訴えた主婦のチハノフスカヤ氏(38)が数万人規模の集会を開くほど熱狂的な支持を得ていた。
チハノフスカヤ氏は独自に入手した一部の投票所の投票結果などを基に「6~7割の票を獲得した」と訴え、自身の当選を主張している。地元の独立系メディアも、選管幹部が選挙結果の改ざんを指示するような音声や、投票所で票数の総計を記載する報告書が書き換えられたという選管職員の証言などを報じ、大規模な不正が行われた可能性を指摘している。
ルカシェンコ政権の後ろ盾となっているロシアの政権寄りのメディアの中には、ルカシェンコ氏が国営企業の職員らを動員して5割強の支持を得たと推計する報道もある。日本の外交関係者が指摘する通り、選挙結果の真相が「やぶの中」にあるのは確かだ。
興味深いデータもある。英王立国際問題研究所(チャタムハウス)が9月下旬にベラルーシ国民約900人に行った世論調査結果では、ルカシェンコ氏を積極的に支持する集団は23・1%にとどまり、7割以上が選挙で不正があったと回答した。大統領選の投票先についてもルカシェンコ氏と答えた人は20・6%にとどまり、チハノフスカヤ氏と回答した人は52・2%と半数を超えた。同研究所は「誤差を考慮しても、チハノフスカヤ氏が最初の投票で過半数を得たか、上位2人による決選投票で勝利するのに必要な支持を得ていた可能性が高い」と結論づけている。
◇危機は長期化の様相、対応を問われる日本
冒頭でも述べた通り、ベラルーシではルカシェンコ政権が抗議活動への弾圧を強化しているにもかかわらず、多くの国民が街頭でルカシェンコ氏の退陣を求め続けている。こうした声の高まりを受け、ルカシェンコ氏は大統領の権限の一部を他の政府機関や議会に移譲する憲法改正を行った後、改めて大統領選を行う考えを示している。
ただ、肝心の改憲案は一向に明らかにされず、治安機関の忠誠を頼りとした強硬姿勢を変える兆しはない。10月に毎日新聞の取材に応じたベラルーシの政治評論家、シュライブマン氏は「ルカシェンコ氏は国民の大多数から支持を失っている。権力にとどまり続ける限り、危機と隣り合わせの状況が続くだろう」とみる。
日本の外交関係者の中には「ルカシェンコ氏の正当性を否定して対話の道を閉ざすよりも、こちらの懸念を伝え続けるチャンネルを残した方が良い」という声もある。ただ、ルカシェンコ政権の市民への弾圧を批判してきた欧州諸国は、今後も制裁の拡大などで圧力を強化するとみられている。米国も人権や民主主義の原則を重視するバイデン次期大統領が就任すれば、ルカシェンコ政権に対して、より強硬な姿勢で臨む可能性が高い。同じ民主主義国として、日本の態度が問われる局面はこれからもやってくるだろう。
◇「自由を愛する」日本国民にベラルーシ反体制派が求めること
ラトゥシコ氏はインタビューの中で、軍部の独走を許し、対米開戦に踏み切った日本が太平洋戦争で経験した敗北を「悲劇」と言及した。その上で、「我々は今の日本人が自由を愛し、人権や道徳的価値を評価する国民であることを知っている」と指摘し、こう訴えた。「それなのにあなたたちは、同じ価値観を求めているベラルーシの国民を支持するのではなく、小銃を片手にデモ参加者を脅かす軍事独裁者を支持するのだろうか」
地理的にも文化的にも近い香港などの抗議活動に比べれば、ベラルーシへの注目度は日本ではどうしても低くなってしまう。しかし、この国では今、民主主義や人権といった戦後日本を支えてきた価値観を巡って、人々が闘い続けている。
ラトゥシコ氏は「日本政府はもっと明確で、一貫した立場を取るべきだ」と呼びかけ、21年開催予定の東京オリンピックの開会式などにルカシェンコ氏が出席する可能性にも触れた。ルカシェンコ氏は、98年の長野五輪の際に日本を非公式で訪問している。ラトゥシコ氏は「五輪に出席したルカシェンコ氏に、日本の人々が頭を下げるところをベラルーシの国民に見せないでほしい」と述べ、東京五輪への出席を容認しないよう求めた。
我々はどういう態度を取るべきだろうか。東欧の小国で問われている問題は決して日本の国民にとってもひとごとではない。【モスクワ支局長・前谷宏】