農村出身の中国人女性がベルギー王子を結婚することになり貴族社会で猛烈な拒否反応が起きている模様

中国南部の農村で生まれ育った女性が、パリでハンサムな貴族と出会い、恋に落ち、やがてベルギーの正式な「プリンセス」になった。欧州貴族社会に根強い中国アレルギーを乗り越え、ひっそりと暮らすその中国人「プリンセス」とは……。

中国人女性がベルギー「王子妃殿下」に

中国は1912年まで満州族の皇帝が支配する王朝・清朝(大清帝国)だった。辛亥革命(1911〜12年)で清朝が倒れ中華民国が建国するが、ラストエンペラー・溥儀(1906〜67年)を筆頭とする清朝皇室・愛新覚羅(アイシンジュエルオ)家は、1924年まで中華民国政府による宮殿、財宝の温存、年金支給などの優待を受けた。

ただ1924年当時に“元皇族”待遇で暮らしていた者も2021年現在、ほぼ全員亡くなり、現代の中国人にとって「プリンス」「プリンセス」は遠い遠い昔のおとぎ話にすぎない。

そんななか、ベルギー王子に見初められたのは、1984年、広東省五華県の農村部に生まれ育った中国人女性の李然(リー・ラン、37)。

幼少時から成績優秀でピアノが得意だった彼女は、奨学金を受けながら高級中学(高校)、北京語言大学で学び、大学では金融を専攻。同大学は中国語研究の中心で、外国人留学生数が中国最多ということで知られる。

李然は留学生たちと交流するうちに、自分も海外に出て見聞を広めたいと考えるようになり、アルバイトを重ねながら勉強する「工読生」生活で資金を貯め、2006年渡仏。パリ・スクール・オブ・ビジネス(PSB)に留学する。

卒業後、ジバンシィでインターンとして働いたあと、バレンシアガ、フェンディといった高級ファッションブランドのパリ旗艦店に勤務。

2009年5月、フェンディの店舗を、新進気鋭の建築家であるベルギーのシャルル・ジョゼフ・マルコルム・ド・リーニュ王子(41)が訪れた。

そのときたまたま接客を担当したのが李然だった。シャルル王子は彼女を見るや否や、長身で、肉感的な唇、輝く黒髪を持つユーモアたっぷりの様子に一目惚れし、交際を開始。

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ふたりは2010年1月に婚約を発表、同年11月に結婚したが、互いの宗教、家庭環境、文化背景があまりにも異なっていることを理由に、欧州中の王侯貴族が一堂に会するリーニュ家伝統の結婚式や披露宴はおこなわず、ひっそり役所に婚姻届を出すのみで済ませた。

中国メディアは「欧州初の中国国籍プリンセス誕生!」「欧州に打工妹(アルバイター)出身の中国人シンデレラ」と賑やかに報じたが、地味婚だったのは、リーニュ家やベルギーの貴族社会では李然の輿入れに対する拒否反応が強烈だったから。

いくら中国が国内総生産(GDP)世界2位の大国にのし上がろうと、李然が流暢なフランス語を話そうと、出自を重んじる貴族社会で彼らは、蔑まれる「貴賤結婚」なのである。

シャルルは「殿下」の敬称と「王子」の称号を持ち、ベルギー最古にして最上級貴族・リーニュ公爵家の一員だ。これらの敬称と称号を使えるのは、ベルギーでは王家(ベルジック家)とリーニュ家だけ。

11世紀から続くリーニュ家は神聖ローマ帝国の帝国諸侯に叙せられ、1601年に当主ラモラルが、神聖ローマ皇帝から「プリンス・ド・リーニュ」の世襲称号を授けられ、「殿下」の敬称の使用を許された。

ゆえにリーニュ家は王室でない公爵家でありながら、現在まで一族は正式に王子/王女殿下、男性の配偶者は妃殿下を名乗っている。

1830年のベルギー独立革命では、第8代リーニュ公爵のウジェーヌ1世・フランソワ・シャルル・ラモラルが初代ベルギー国王の候補のひとりにもなった。リーニュ家は限りなく王族に近いベルギー最上級貴族なのだ。

李然も結婚後、プリンセス(王子妃)の称号を名乗ることになったが、夫のシャルル王子は、リーニュ公爵家分家の次男坊。一族の中では比較的気楽な立場だ。李然妃との間には2010年に長男アマデオ・ジョゼフ・ガブリエル王子が、2019年には次男アントワーヌ・タウ・エドゥアール・アドリアン王子が誕生した。

https://courrier.jp/columns/263953/

すげーなこれ
超勝ち組やん

美男美女でワロタ
子供も文句なしのイケメンなんだろーな


農村出身のわりに歯がインプラント的な綺麗さなのはなんでだろ。

どこの国も色々大変なんだな

映画になりそうなシンデレラストーリーだね
まあ良かったんじゃないの

めっちゃ努力家だな

中国怖すぎ

愛新覚羅の末裔のお姫様は日本に住んでて、名大医学部を出て眼科医かなんかだったよな

農村出身で外に出れるんじゃ共産党の有力階級かね


親戚にいるだろうな