論考を載せた雑誌を紹介する長南さん
青森県で120年前に起きた陸軍第5連隊の八甲田山雪中行軍遭難について、福岡県内の研究者たちが、著書や論考で新たな角度から光を当てている。天候急変や指揮系統の乱れが主な原因として論じられてきたが、軍隊内の人命尊重意識や上官のリーダーシップの問題点などを厳しく指摘し、現代に通じる教訓を問いかけている。(大石健一)
粕屋町の戦史学者、長南政義さんは、雑誌「歴史群像」の2月号に、論考「分析ドキュメント 八甲田山雪中行軍遭難事件」を寄稿した。
長南さんは、遭難の原因を調べた陸軍の「取調委員会」の記録や先行研究を精読。映画で悲劇的に描かれた指揮官の名言「天は我々を見放した」について、そばにいた兵隊の証言を紹介し、「指揮官の不用意な発言が部隊の士気を一気に下げた」と指摘した。
風が強く、待機すべきタイミングで大隊長が行軍再開を指示したなどの判断ミスにも着目。「指揮官のリーダーシップと判断力が気象条件と並ぶ最大の遭難原因。今に通じる多くの教訓が含まれている」と語る。
この寄稿で長南さんが「重要な研究」と参考にしたのが、陸上自衛隊の元陸将補、川道亮介さん(79)(福岡県遠賀町)が執筆した「拓(ひら)く 福島泰蔵大尉正伝」(2017年)だ。
川道さんは、現職時代から遭難に関心を抱き、第5連隊とは別に、雪中行軍を成功させた弘前歩兵第31連隊を率いた福島大尉に注目。久留米市の陸上自衛隊幹部候補生学校副校長だった関係で、福島大尉の遺族から、秘蔵資料を同校に寄贈してもらうのに尽力した。
八甲田山に通うなど約15年、調査、研究して1冊にまとめた。従来の研究で欠けている視点として、「両連隊の失敗と成功の分かれ目は、兵隊の命を重視したかどうかの違い」と強調する。
第5連隊が夏用の服で兵隊に行軍させるなどして多数の犠牲につながったものの、上層部はあまり責任を問われなかったとして問題提起。「多くの犠牲を出しても責任を問われない体質が、第2次世界大戦で膨大な犠牲を生む結果につながった」と持論を述べる。