妻の洋子さんが眠る墓を訪れた熊川勝さん=福島県浪江町で2022年2月12日、和田大典撮影
東日本大震災から11年。福島県浪江町の元郵便局長、熊川勝さん(84)はあの日、自宅で津波にのまれた。着ていたジャンパーが浮袋代わりになって一命を取り留めた熊川さん。しかし愛する妻、洋子さん(当時72歳)は水の中に消えた。何年が過ぎようと忘れることはない妻。面影を探して、きょうも妻に語りかける。
【自宅の部屋に震災前の浪江町を写した写真を飾っている熊川勝さん】
「来ましたよ」毎月訪れる「お母ちゃん」との対話の場
洋子さんが大好きだったリンゴジュースを供えて「来ましたよ」。ゆっくりとしゃがみ、「お母ちゃん」に手を合わせる。熊川さんは毎月、洋子さんが眠る墓を必ず訪れる。「今月はこんなことがあったよって、お母ちゃんとしゃべんだ。誰も聞いてないからいいさ」。2015年春にできた浪江町の墓に遺骨を納めてから、墓参りは一度も欠かしたことはない。「お母ちゃんから皆勤賞をもらわないとな」
震災から約5カ月後、福島県二本松市の仮設住宅に入った。そこで6年間暮らし、17年8月に浪江町に戻った。住まいは古里の請戸(うけど)地区に近い復興住宅。二本松に住んでいた時は往復140キロの墓参りも、すぐの距離になった。
「抱きしめてやれなかった」抱き続けた悔い
東日本大震災前の熊川勝さんと妻の洋子さん=福島県浪江町で、熊川勝さん提供
11年3月11日。大きな揺れを感じて自宅へ戻ると、電柱の高さほどの波が押し寄せてきた。急いで洋子さんと2階に駆け上がった。それでも波は容赦なく2人を巻き込んでいった。死を覚悟し、「これまで、ありがとな」と呼び掛けた。洋子さんはうなずいて唇を動かした。「お父さん、ありがとう」。家ごと流されるうちに、一緒にいた洋子さんは渦巻くような波に引き込まれていった。
熊川さんは目の前に見えた川の橋桁に飛び移って波から逃れ、周囲に助けを求めた。
2人が波に襲われた請戸地区は、事故を起こした東京電力福島第1原発からおよそ7キロの場所。地区には避難指示が出され、翌朝からの捜索活動は打ち切られた。
「お父さん、私はここにいる」。何度となく、妻の声が聞こえる気がした。遺体安置所を駆け回っても、その姿は見つからなかった。遺体の身元が洋子さんと確認されたと、警察から連絡を受けたのは11年6月だった。「野ざらしにされたんだ。抱きしめてやれなかった」。悔いだけが残った。