ここ最近では珍しい北朝鮮ネタ。
「韓国より北朝鮮のほうがましだ」…韓国への“脱北男”が「北朝鮮へ帰った」ヤバすぎる事情
7/9(土) 8:02配信 現代ビジネス
韓国への脱北者は、なぜ再び「北朝鮮へ逃亡」したか
2022年1月1日、韓国と北朝鮮の軍事境界線で越北事件が発生した。
「越北」は、軍人や民間人が自発的に北朝鮮に入国する行為で、反対に北朝鮮から韓国に入る行為は「越南」という。
今回の越北者は、脱北し韓国に入った人物が、あえてまた越北したケースで、軍が一切気がつかなかったという。
いまも韓国と北朝鮮は休戦ラインを挟んで対峙しており、ここでは常に大小の事件が発生している。軍人の衝突は避けられないし、自発的な亡命事件もしばしば起きている。
筆者は26ヶ月に及んだ服務期間の約10ヵ月が、この最前線たるDMZ(非武装地帯)だった。
多くの時間を外部と完全に遮断されたGP(監視塔)で過ごし、一般の軍隊とは異なる様子を体験した。
まず後方部隊とは違って、最前線のDMZでは常に銃に実弾を装填し、防弾チョッキを着て北と対峙する危険な勤務だ。
「越北者」の悲劇
もちろん、GPでの生活は精神的なストレスが多い。
いまは状況が好転したが、1990年代の軍隊は統制と検閲が厳しく、軍人一人一人に対する監視が厳しかった。
今回の越北事件の様なことは筆者の服務期間中、少なくとも筆者が知る限りだが、最前線では発生しなかった。
そうはいっても部隊での精神教育で聞かされる話には必ず「越北」が登場したし、越北者の悲惨さについても詳しく聞かされた。
軍隊内部の殴打や苛酷な行為など不条理が酷かった時代、越北は被害者の逃避手段だったようだ。
越北理由の多くが軍生活に適応できないことだった。殴打と暴行で蓄積した感情が爆発し、同僚を射殺して北朝鮮に渡った人や政治的な理由で北朝鮮に渡った人もいる。
人生最後の選択
1995年の国防部の発表によると、1953年から1994年の間に453人の軍人が越北した。
50年代と60年代は391人、70年代は42人、80年代は17人、90年から95年には3人の軍人が北朝鮮に向かった。
1977年から81年には、中佐、少佐、大尉など将校の越北事件があり、84年には手りゅう弾と小銃で同僚15人を射殺して越北したチョ・ジュンヒ一等兵事件もあった。
越北の理由は明確だ。
軍服務の疲労やストレス、犯罪行為の処罰を回避するなど、人生の終点で下す決断である。北朝鮮は、かつては越北亡命者を手厚い待遇で迎えたようだが、経済難の深刻化で送還させる例が多くなったという。1950年代以降、公式的な越北者数が減った理由でもある。
軍隊はその特殊性から外部に知られなかったり、隠蔽されたりする事件や事故が少なくないが、公式的な集計に含まれない越北事件も減少しただろう。越北は依然として人生最後の選択なのである。
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学びがある! 44
分かりやすい! 89
新しい視点! 56
ワトソン君北朝鮮に戻るのが、超北なんですか?
韓国が酷い国だというのはよく分かるとワトソン君
黒井超えるではなく越えるだぞ。超えるは数値や高さ、越えるは線だ。北朝鮮から韓国に逃げてくるのが脱北で、韓国から北朝鮮に逃げるのが越北と。
ワトソン君分かりにくいです・・・。でも、韓国が酷い国なんだなというのは分かります。
黒井今回生じた脱北からの越北というケース、理由を明らかにしてほしいものだね。この記者は韓国人だからなのか、残念ながら最も面白い部分を明らかにしてない。
ワトソン君韓国の軍人が、ストレスで北朝鮮に逃げるみたいですね!
黒井ああ。だが今回のは脱北者だろ?軍人とは限らないよな。脱北者を入隊させて再度国境を越えて北朝鮮に戻りましたじゃ、まんまとスパイにやられたも同然だが。
ワトソン君ネットユーザーの反応です!
・韓国政府が北朝鮮を刺激せずDMZの警備を緩め、越南者の待遇を悪化させたりしました
・左派が進歩派とされるのはどうしてですか?意地悪クラブの解釈だと思います
・北朝鮮を民主化しても、韓国がもう1つできるだけです
・ヤバすぎる事情というのは、たった一行ですか?差別拡大や経済の状況ですか?
・中身が何もない記事ですね。具体的な事が何もありません
黒井それそれww 記事タイトルで煽ろうと決めたが、いざ書き始めると自分が書きたいことを優先してしまい結局タイトル詐欺みたいになる。韓国人記者にありがちな現象と言えるね。
ワトソン君でも、韓国が酷い国だというのはよく分かってるので、詳細は不要な気もします。
黒井ワトソン君のような単純な考え方で済めばいいよな。俺ももっと単純になってみたいものだ。
ワトソン君韓国の皆さん、日本は令和時代で復活します!韓国とはもう関係がなくなるし、助ける事もありません!さようなら!
黒井日本は関係ない!併合おめでとう!韓国さようなら!