ウクライナ・へルソンの攻防、前線からの報告
ジェレミー・ボウエンBBC国際編集長、ミコライウ
黒海沿いの街、ヘルソンは、2月24日にウクライナ侵攻を開始したロシア軍が、まもなく占領した。開戦直後のロシアにとって、最大の戦果だった。そのヘルソンについて今になって、冬季戦に向けて防衛線を備えるロシア軍が、少なくとも一部を手放すかもしれないという話が、取りざたされている。
ヘルソンの郊外や周辺の村は、欧州大陸でも有数の勇壮な大河ドニプロの両岸にまたがり広がっている。このヘルソンについて西側諸国の政府はこのところ、ヘルソンの西側からロシアが部分的に撤退するかもしれないと、報道陣に説明している。
ロシアにとってドニプロ東岸の方が防衛しやすいため、ロシア軍はそこまで後退するかもしれないというのだ。東岸はその形状から、攻めるのが難しい自然の障壁になるため、ロシア軍の指揮官たちはそれを利用するかもしれないと。
ウクライナ政府は夏以来、ヘルソン奪還計画を大々的にマスコミに喧伝(けんでん)してきた。軍の作戦をあまりにはっきり公表したので、それはむしろウクライナ北東部でかなりの領土を奪還するに至った素早い攻勢を隠すための策だったのだろうと、そう結論するアナリストたちもいたほどだった。
しかし、この巨大な国の南西部にいると、ウクライナ軍の進軍はそれよりはるかに慎重に行われているのが分かる。ウクライナは本気で、ヘルソンを奪い返そうとしているのだ。
ウォロディミル・ゼレンスキー大統領は、勝利を必要としている。国民の士気のためというだけでなく、ウクライナはこの戦争に勝てるのだと、支援する諸国を安心させるために。しかし、この国の政治と軍の指導部の野心は、「ロシアを押し戻す」という現実の厳しさを前に、齟齬(そご)をきたしている。
私はこのところ、ヘルソンの外周の随所で、ウクライナの前線を取材した。前線の兵士や軍幹部に話を聞いて回った結果、ウクライナ南西部のここで戦わなくてはならない兵士たちは、ロシアがいかに手ごわい敵か、すでに学習済みだと明確にわかった。
ミコライウとヘルソンの間の前線で、自分は「イリア」だと名乗る地元出身のウクライナ兵は、ロシア軍の砲撃を浴びながら、太い葉巻をふかしていた。もじゃもじゃの髪に黒いひげをたくわえ、葉巻をくわえたその様子は、キューバの革命家チェ・ゲバラに似ていなくもなかった。
「ここで前進するのはとても難しい。前線を突破するには、一点に大量の軍勢を集中させる必要がある。我々の仕事は、この位置を守ることだ。向こうが予備役を連れてよそに転戦させないようにするため、こちらはたまに攻撃している」
「とても大変だし、時間がかかる。向こうは制空権を握っているし。装備も人員も砲弾の数も、こちらよりはるかに勝っている」
「向こうの兵はろくに訓練されていないが、ひたすら『ウラー(万歳)!』と叫んで突進してくる。向こうの大人数に見合うだけの弾が、こちらにはない」
死傷者の数も、戦場の要素だ。ロシアもウクライナも、それぞれ数万人の死傷者を出している。正確な数字は明らかになっていない。どちらも、相手から受けた被害の程度を認めたくないのだ。
しかし、ウクライナの軍は多くの民間人の志願兵で構成されている。指揮官たちは、兵を守らなくてはならない。経験を重ねた兵をこれ以上失いたくないし、大量の犠牲は国民の士気にかかわってくることも意識している。
ウクライナは大きな国だが、人口は4000万人に満たない。男たちはすでにかなりが動員されている。
前線では「フガッセ」を名乗る少佐が、塹壕(ざんごう)や地下壕を案内してくれた。攻勢をかけるのかという話になると、慎重な口ぶりになった。
「今後の反抗作戦は複雑で、計画が立てにくいし、人命を危険にさらす。あらゆることを考慮に入れなくてはならない。兵の命を守ること、それが指揮官としての我々の仕事なので」
ウクライナは成果を上げている。9月初め以来、ヘルソン州では数百平方キロを取り返した。州内のとある村では、さびついたスイカの看板が銃弾を受けて穴だらけになっていた。戦争が始まる前、この一帯はスイカの産地として有名だったのだ。
戦闘で多くの村が破壊されている。ウクライナによると、ロシア軍は撤退に追い込まれると砲撃で民家を破壊しようとする。他方で、私が訪れた小さなコミュニティーでは、戦闘後に自分たちの家の様子を見に戻ってきた住民が、違うことを言っていた。この人たちによると、自分の家の被害の多くは、ロシア軍を追い出そうとしたウクライナ軍によるものなのだそうだ。破壊を免れた屋根は、ほとんど見当たらなかった。
ミコライウ州知事の庁舎だった建物は、ロシア軍の激しい砲撃で3月に破壊された。今も残るそのがれきの中で、ウクライナ軍のディミトロ・マーチェンコ少将は、ヘルソンの平らな農地で展開する戦いを、村や村の戦いと呼んだ。きわめて狭い範囲の現場で起きている、戦術的な戦闘だと。
「反攻に必要な位置を確保しようとしている。我々は一カ所にとどまっていない。毎日のように次々と村を奪還している」
マーチェンコ少将は開戦当初、ウクライナ南西部でロシア軍の進軍を食い止めたとして、英雄になった。当時ロシア軍はヘルソンを越えて、ミコライウやオデーサへ迫ろうとしていたのだが、少将率いるウクライナ軍は、それをせき止めたのだ。
そして、そのマーチェンコ将軍は、ロシアの戦線を突破し、ロシアの砲撃を浴びながらドニプロ川を越える攻勢に出るのは、開戦当初の防戦より、はるかに厳しい戦いになると話す。
「まともに反撃するには、こちらには一定の兵士の数と武器と装備が必要だ。これがすべてそろった時点で、反撃を開始する」
「まずは、最大300キロ先まで届く迎撃砲が必要だ。それに防空システムも。どれも、攻撃に打って出たい世界中のあらゆる軍隊に必要な基本装備だ」
最大の戦果となる州都へルソンそのものは、今のところロシアの支配下にある。秋を通じてロシアは、ヘルソンの守りを固めてきた。ウクライナ国防省のキリロ・ブダノフ情報総局長は最近の取材で、ロシアは海兵隊から空挺部隊、特殊部隊にいたるまで、ロシア軍の精鋭部隊を、ヘルソン防衛に投入していると話した。
ロシア軍がヘルソンから撤退するなど、よほど軍事的に追い込まれていない限り、ありえないように思える。
ドニプロ川西岸でロシアが占領した広大な地域から、ウクライナは確かに複数の村を取り返している。しかし、州都ヘルソンそのものでロシアが固めた防衛線を、突破できるほどの戦闘力が、ウクライナにはない――というのが、前線から聞こえてくる話だ。
その情勢は、ウクライナを支えるアメリカをはじめ北大西洋条約機構(NATO)の加盟諸国から、これまで以上に強力な武器が届くようになれば、変わるかもしれない。
ウクライナ軍が無謀に突進してくるよう、ロシア軍がわなをしかけてヘルソンの一部から撤退するかもしれないという話もあるが、一部のウクライナ消息筋はこれを否定する。
その一方で、ドニプロ川西岸のロシア部隊が苦戦を強いられる中で、ドニプロ川こそ最適な天然の防衛線だと、ロシア軍司令部が判断する可能性はある。
この戦争でのこれまでの戦いぶりからして、ドニプロ川を戦いながら越えるという撤退が、ロシア軍に可能なのかどうか、はっきりしない。ウクライナ軍はロシア軍と違った形で、柔軟で有能だと、実証してきた。それだけに、仮にロシア軍が後退するのを目にしたら、間違いなく進撃するだろう。
別の要素として、イランの兵器の影響がある。イランがこれまでにロシアに提供した武器は、効力を発揮している。それだけにウクライナの軍関係者は、イランがさらに強力なドローンやミサイルをロシアに提供するのではないかと、懸念している。そうなれば、同じく海岸沿いでヘルソンに隣接するミコライウが、これまで以上に攻撃の圧力を受けることになる。
都市への攻撃は、巻き込まれる市民の殺害を意味する。
ミコライウはこのところ、ロシアの攻撃を受けてきた。攻撃は頻繁ではないが、絶えることはない。リュボフ・レウヘニウナさんは朝の光の中、破壊された自宅の中に立ち尽くし、作業する人たちがしっくいやがれきを取り除くのを、眺めていた。近所の人は、砲撃で亡くなった。
レウヘニウナさんは大手術を受けて、病院から退院したばかりだった。息子2人は陸軍にいる。そのうち1人はヘルソンの前線で重傷を負い、病院にいる。もう1人は東部ドンバスで戦っている。
「私はひとりです」と、レウヘニウナさんは言う。「この作戦のあと、たったひとりでどうやっていけるのかわからない」。
ウクライナ全土で、レウヘニウナさんのような人が、もともと多くを持たない人たちが、すべてを失っている。
ロシアは電力系を狙って攻撃を続けており、これにウクライナの人たちは苦しんでいる。ミコライウではロシアは水道を砲撃した。今では、蛇口から出てくる水は黄色くて、しょっぱい。びん入りの水を買って飲んだり料理に使ったりするだけの経済力がない住民は、給水車が運んでくる水を求めて行列しなくてはならない。
これから長い冬の戦争が待ち受けている。
(英語記事 Russia-Ukraine war: At the front line of Ukraine’s struggle for Kherson)
(c) BBC News