ウクライナ・ハルキウ州クピャンスクで、損壊した建物の前を自転車で通る女性(2022年11月3日撮影)。【翻訳編集】 AFPBB News
【AFP=時事】ロシア軍がウクライナ東部クピャンスク(Kupiansk)から撤退した際、市職員のオレナさんが庁舎のがれきの中から回収したのは椅子1脚とモニター1台だけだった。他にはほぼ何も残っていなかったことから、組織的な略奪を疑う見方が強まっている。
【写真8枚】ロシア軍から解放された後のクピャンスク市内の様子
クピャンスクはロシアとの国境から50キロに位置する鉄道の要衝で、侵攻前の人口は2万7000人だった。開戦から3日後の2月27日、ヘンナジー・マツェホラ(Genadiy Matsehora)市長は戦闘行為の停止と引き換えに、ロシア軍に街を明け渡すことに同意。以後、同市は9月10日までロシア軍の占領下に置かれていた。
親ロシア派政党「野党プラットフォーム―生活党」の党員であるマツェホラ市長は、ウクライナ政府から反逆行為に及んだとの非難を受け、ロシアに逃亡した。
ロシアによる侵攻が始まって以来、初めて職場に戻ってきたオレナさん。「復職希望者は、ウクライナ国旗を踏み付け、『ありがとうロシア、私たちの解放者!』と叫ばなければならなかった。しかもその様子を動画に収められていた」と明かした。
オレナさんは3月に5日間、ロシア軍に拘束された。その後も家に閉じこもり、9月に戦闘が激化した際には地下室に避難した。市が解放されて初めて地下室から出てみると、家の中はひどい荒れようだった。
「電子レンジや洗濯機が盗まれた。もう一つ、説明のつかない物がなくなった。トイレの水タンクだ。トイレそのものではなく、水タンクだけが奪われた」と、オレナさんは首をかしげた。
■略奪品を自宅に発送か
2月24日の侵攻開始以来、ロシア軍占領地での略奪疑惑は枚挙にいとまがない。一部の素行不良者による仕業ではなく、組織的な犯行であることがうかがえる。
ウクライナ当局は、将来ロシアから戦争賠償金が支払われた際に、補償が受けられる可能性があると期待する個人や企業からの申し立てを記録している。
ベラルーシの調査報道グループ「ハユン(Hajun)」は4月、ウクライナとの国境の町マズィル(Mazyr)の小包配送所から、ロシア兵が自宅に多数の荷物を送っている様子を捉えた3時間以上に及ぶ防犯カメラ映像を公開した。荷物1個の重さは50~450キロで、計2トン以上の荷物が発送された。