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前田勝さん
「何からどう書けば良いのか…ムネがつまって…」
「お母さんはこんな死に方で死んでいきますが恨まないでネ?…」
【映像】前田さんの高校卒業式 母親と唯一の2ショット
前田勝さん(39)が見せてくれたのは、遺書。18歳の時に亡くなった母親が書いたものだ。「悲しみはもちろんあるが、それ以上に憎しみがめちゃめちゃ強かった。なんて自分勝手な人なんだと」。そんな母親の死について書いた本が先日出版された。タイトルは『遠い家族 母はなぜ無理心中を図ったのか』。
残された家族の人生をも狂わせる無理心中。決意した人間をどうすれば止めることができるのか。4日の『ABEMA Prime』では、残された家族と、子どもと無理心中を図った母親、立場の違う2人のケースから考えた。
■母親が父親を道連れに…「自分も飛び降りたら楽になるのかなと」
前田さんのプロフィール
事件が起きたのは、前田さんが高校を卒業してすぐのことだった。「バスケ部の合宿に行っていた時に知らない番号から電話がかかってきて、『家が大変なことになっているからすぐに戻りなさい』と」。
戻った自宅には多くのパトカーと規制線が。「(警察から)中に死体があるので遺体確認してほしいと言われて。お父さんが床に寝ている状態だったが、そこは血だらけ、壁も血だらけ。テーブルにはでっかいハンマーが置いてあった」。母親は自分だけではなく、愛人を作った父親を道連れに命を絶ったのだ。
心当たりについて前田さんは「6年間に何度も(父親の)浮気があって、その度にケンカをしていたが、母からは事あるごとに『あの人を殺して私も死ぬから。あなたはこれから1人で生きていきなさい』と言われた」と明かす。
無理心中で残された前田さんの苦悩
当時18歳の出来事は、その後の人生に大きな影響を与えた。「家にはとても住めなかったが、幸いなことに同級生が手を差し伸べてくれた。しばらく居候させてもらい、ちょっとずつ落ち着いてはいったが、とにかく辛かった。数カ月後に一人で暮らしを始めると、夜寝ている時に変な音が聞こえたり、お母さんの声が聞こえたり。電気とテレビをつけっぱなしにしないと眠れなかった。6階に住んでいたが、酒を飲んでは“ここから飛び降りて駐車場の車にぶつかったら楽になるのかな”と思っていた」。
さらに残された前田さんを追い込んだのは、父親の親族からの言葉だった。「『私たちはあなたを恨むしかないから。あなたはこれから一生、人殺しの息子として生きていきなさい』と。なんで俺がこんなことを言われなきゃいけないんだろうと、母がしたことの申し訳なさもあったが…」とつらい記憶を振り返る。
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