ヤギの死骸の横を通り過ぎる女性=3月、エチオピア南部ボラナ県(共同)
(写真:47NEWS)
エチオピア南部ボラナ県ヤベロに駐車していた、JICAのロゴが入った車両=3月(共同)
干ばつが続くエチオピア南部ボラナ県で道の脇に散らばった牛の死骸=3月(共同)
エチオピア南部ボラナ県の村で、家畜の死骸が集められた墓穴=3月(共同)
エチオピア南部ドゥブルクで避難キャンプに向かう男性=3月(共同)
極度の栄養失調で医療施設に搬送された男児(2)を背負う母親=3月、エチオピア南部ボラナ県
避難キャンプで暮らす子どもたち=3月、エチオピア南部ボラナ県(共同)
日本がバブル景気に沸く少し前の1983~85年、アフリカ東部のエチオピアは世紀の飢餓に苦しんでいた。最終的に100万人の犠牲者を出したとも言われる大災害の原因は、紛争と並び大地を襲った干ばつだった。
世界に「悲惨なアフリカ」のイメージを印象づけることになった飢餓から約40年。国連がそれ以降で最悪と訴える大規模な干ばつが再びアフリカ東部を襲った。ケニアやソマリアの一部とともに、最も深刻な地域の一つとされるエチオピア南部ボラナ県を取材すると、そこには力尽きた家畜の死骸と死臭に包まれつつ、なすすべもなく人々が立ち尽くす残酷な光景が広がっていた。(共同通信=菊池太典)
▽350万頭の牛が消えた
首都アディスアベバから飛行機と車を乗り継ぎ、まずは県の北西にある町ヤベロに入った。ヤベロは干ばつ地域の一歩手前にあり、現地に向かう政府や援助機関の支援隊が滞在する拠点となっている。泊まった宿の敷地には、日本の国際協力機構(JICA)のロゴが入った車両も駐車していた。
「本当に干ばつなんて起きているのだろうか」。人や家畜が忙しく行き交う活気あふれるヤベロで感じたこんな疑問は、すぐに打ち消されることになる。より乾燥している南方へ向けて車を走らせると、30分とたたずに道の両脇に牛やヤギの死骸が目立ち始めた。既に骨だけのもの、腐乱して強烈な異臭を放つもの、昨日今日に死んだような真新しいもの、死骸の状態はさまざまだ。
この地域では住民のほとんどが牧畜で暮らしている。売り物としても、自家用としても、家畜のミルクや肉、労働力が生活を支えてきた。しかし2020年から続く干ばつで草が枯れ果て、放牧が成り立たなくなった。干ばつは気候変動の影響もあると指摘される。餌を失った家畜は次々と衰弱して死を迎えた。県政府によると、県内で飼育される牛は干ばつ前の4百万頭から50万頭に減ってしまった。
死骸の横を人々は何事もないように通り過ぎていく。取材を案内してくれた地元NGO「ガヨ・牧畜開発イニシアチブ」のジャルデッサさん(35)は悲しそうに言った。「ここ2年、あまりに多くの死骸を目にしてきたので、みんなもはや気にもしないのです」