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祥くん(左端)の笑顔に和む貴司さん(右端)と千恵さん(右から2人目)。いっちゃんは「かあか」にべったりだ
日本には死別、虐待、貧困など、さまざまな事情で生みの親と暮らせない子どもが約4万2千人いる。彼らを家庭に迎え、法的にも親子関係を結ぶのが「特別養子縁組」だ。この制度を使い、新たな絆を結んだ親子の日常に接すると、あらためて教えられる。親子の間に大切なのは、血のつながりではない。限りない愛情なのだ、と。
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祥くん(6)は、車のおもちゃが大好きだ。「かーして」。妹のいっちゃん(3)にせがまれると、最近は素直に貸してやる。父の岩崎貴司さん(46)=広島県福山市=は「お兄ちゃんらしくなったな」とうれしくなる。ダウン症の祥くんは、まだ言葉を話せない。それでも兄妹は仲良く遊んでいる。その姿を見るだけで、母の千恵さん(41)も幸せな気持ちになる。「あの時、諦めなくて良かった」と心の底から思う。
結婚10年 待ち望んだ子
あの時―。2016年秋のことだ。特別養子縁組をあっせんする関東のNPO法人から待ちに待った電話が鳴った。結婚10年。心身をすり減らした不妊治療に終止符を打ち、その年の初めに申請を済ませていた。該当の赤ちゃんがいると告げられ、千恵さんは「受けます!」と即答した。
障害のことも告げられたが、貴司さんとは「どんな境遇の子どもでも迎えよう」と決めていた。出生前でも胎児の染色体異常が分かる時代。不妊治療中もどんな命でも育てるつもりだった。「それなら養子を授かる場合も同じだよね、と話し合っていたんです」。だから迷わなかった。「ようやくわが子を抱ける」と胸は弾んだのだ。
親族は猛反対 悩み抜き決断
ところが親族みんなに猛反対された。同居する千恵さんの母、安原美恵子さん(74)も「絶対につらい思いをする」と取り付く島がない。「私の選ぶ幸せは周りを不幸にするの?」。縁を切るという人までいて、千恵さんは動揺した。翌朝、NPO法人に泣きながら撤回を伝えた。
すぐに後悔が押し寄せた。「どうしても息子を失いたくなかった。それにもし、施設に行くことになったらって」
愛情を一身に受けながら育つ機会を、奪うことになる。これは命の選別ではないか…。悩み抜き、3日目に夫婦で決めた。実家を離れてでも、親になろうと。その日のうちに新居も決めてきた。覚悟は伝わったらしい。東京から駆け付けた親族を交え、母美恵子さんと話し合うことに。母は「そこまで言うなら、この家で育てたらいい」と折れてくれた。
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