
「台北大空襲」ゲーム
今年2月、台湾のゲーム会社が「台北大空襲」というタイトルのPC(STEAM)用ゲームソフトをリリースした。清子という日本名の少女を主人公に、第二次世界大戦末期、“たいほく”と呼ばれていた日本統治下の台北を襲った大空襲を追体験するアドベンチャーゲームは、同社が17年に発売して台湾で話題を呼んだ同名のボードゲームが原作だ。
二つのゲームがテーマにしている台北大空襲は、戦争を知る世代を除けば、その惨事自体が人々のあいだで忘れられつつあるという。知られざる台北大空襲に至る経緯、そして台湾の被害についてを紹介する。
台北大空襲は、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)5月31日、日本統治下の台湾台北市に対し、連合国軍が行った大規模な無差別爆撃である。
台湾のゲーム開発会社迷走工作坊(Mizoroit Creative Company LTD)は、当時の台湾の人々が生死の危機に瀕したこの歴史的事件を追体験する、その名も「台北大空襲」と題したゲームを発表した。
台湾への空襲は1944年末から始まり、以後終戦となる1945年までに、台北のみならず北部から南部までほぼ全土が攻撃され、甚大な被害を及ぼした。
しかし第二次世界大戦終結後、国民党政府と米国は同盟国となり「抗日史観」に対する政府の姿勢によって、学校の歴史教育で空襲について言及されなくなった、そのため多くの台湾の人々はこの史実を学ぶ機会がなく、空襲を行った国についてさえ知らない人がいるという。
迷走工作坊は、台北市の繁華街である西門町で、約40人に街頭インタビューを行ったが、そのうち台北大空襲について聞いたことがあると答えたのはわずか2名であった。
戦略爆撃とは?
台北大空襲発生の背景には、第二2次世界大戦の末期、米軍が日本に対して行った「戦略爆撃」がある。当時日本の統治下にあり、日本の南進政策の拠点である台湾も当然爆撃の標的になった。航空機による爆撃は、第一次世界大戦末期に出現した新しい戦法であり、
「戦略爆撃」という概念は第一次世界対戦終結後に発展したが、具体的な方法、戦術、効果については第二次世界大戦中の実戦の中で模索している状態だった。