ワグネルの反乱から1週間 ロシアの人々は何を思っているのか


ワグネルの反乱から1週間 ロシアの人々は何を思っているのか

ワグネルの反乱から1週間 ロシアの人々は何を思っているのか

ロシアの雇い兵組織「ワグネル」による劇的な反乱から1週間がたった。ワグネルが占拠した同国南西部ロストフ・ナ・ドヌの住民らは、国中を揺るがしたこの出来事をどう考えているのか。

ワグネルの創設者エフゲニー・プリゴジン氏は、6月23日からわずか24時間のうちに反乱を起こし、100万人都市に部隊を送り込み、さらにモスクワへと向かった。

ロシアでは現在、同国のいう「特別軍事作戦」への批判を禁じる法律がある。そのため、BBCは今回の取材に応じた市民の身元を明らかにできない。

ヴァディムさん(仮名)は、BBCワールドサービスの番組「ウィークエンド」に、市内でワグネル部隊を見た時のことをこう語った。

「あの日、家を出て店に買い物に行くことになっていた。午前10時か11時ごろ、武装した人々が道路を封鎖しているのを見た。車を止め、人々に書類の提示を求めていたが、通行人は歩き続けることができた」

ヴァディムさんが帰宅すると、心配した友人たちから大丈夫かと尋ねる電話がかかってきたという。彼はその日、家から出ないことにした。

「あの日の気持ちは、警戒と、おびえもあったと言えるだろう。プリゴジンが何かを企んでいるのはみんな知っていたし、ワグネルはいろんな国での犯罪で有名だ」

「ワグネルはハンマーで人を殺すことで知られているので、恐怖を感じた」

ヴァディムさんは、ウクライナでの戦争によってロストフ・ナ・ドヌはすっかり変わったと感じている。軍事色が濃くなり、軍の病院と負傷者が増えたと話す。

「この街は前線にとても近いし、そのことを感じる」

ヴァディムさんがロストフ・ナ・ドヌの自宅にとどまっていたころ、アナスタシアさん(仮名)はサンクトペテルブルクからモスクワを訪れていた。

「私たちは夜通し一緒にニュースをチェックし、朝起きると、さらに多くのニュースが出ていた」、「強烈だった」と当時を振り返る。

アナスタシアさんは、モスクワ南西部の友人宅に滞在していた。市内では、ワグネル部隊の到来への備えが始まっていた。彼女は、ワグネルがモスクワを制圧することについては恐れていなかった。それより、状況が不確実なことに不安を覚えていたという。

「それまで非現実的に思えたことが、起こり始めていた。そして、次に何が起こるのか、まったく分からなかった。その不確かさが、何だか怖かった」

「プリゴジンがモスクワに進軍し始めたとき、楽観的なシナリオはまったくなかったし、何が起こるのかも分からなかった。プリゴジンがモスクワを制圧するのを喜ぶ人は、私の周りにはいなかった」

「すべてのシナリオが、かなり悪そうだった。唯一、希望に感じたのは、何かが変わりつつありそうだということだった。そうしたら、終わってしまった」

6月24日の夜、ワグネルの創設者は進軍を中止し、部下たちに基地に戻るよう命じた。部隊はモスクワから200キロメートルの地点まで迫っていた。

ワグネルは26日までに、ロストフ・ナ・ドヌからの撤退を開始した。

ヴァディムさんによると、ロストフ・ナ・ドヌの生活は普段どおりに戻った。みんな、この1週間の出来事について冗談を言っているという。

「土曜日(6月24日)に反乱があり、日曜日は休みで、月曜日には動物園で火事があった。火曜日は大雨で洪水が起こり、水曜日はナイフで戦う人がいくらかいた、とみんなで言っている」

ロシアの政治状況については、ウクライナを侵攻して以来、安定はみられないと、ヴァディムさんは言う。

「チェーホフの言葉に、第1幕から壁に拳銃をかけておくのなら、第2幕にはそれが発砲されるべきである、というのがある。自分でまいた種は自分で刈り取れ、ということわざもある。それらからすれば、どれもすごく予想外のことではない」

(英語記事 A week on, Russia reflects on Wagner’s sudden mutiny)

(c) BBC News



Source link