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被爆者健康管理手当の振込口座の通帳を持つ女性。昨年11月に特殊詐欺で不正に引き出された
息子や警察官、金融機関職員らをかたり、大切な資産を奪い去る特殊詐欺。ひとたび犯人に渡った金を取り戻すのは極めて難しい現実がある。財産的な被害の回復を阻む壁とは何か。取材班は被害者や加害者、専門家を訪ね歩いた。(特殊詐欺取材班)
【表】特殊詐欺の被害回復制度
「いつ大きな病気になるか分からない。生活が苦しくても一度も手を付けなかったのに…」
4月下旬、広島市内の市営住宅で80代女性が涙で声を詰まらせた。昨年11月に特殊詐欺の被害に遭い、現金440万円を失った。60年間ためていた被爆者健康管理手当の一部だった。
1945年8月6日午前8時15分。爆心地から約3キロの路上で通学中に被爆した。20代前半で結婚し、3年後に被爆者と認定された。仕事の傍ら、同じく被爆者で入退院を繰り返す夫の介護、息子2人の子育てを一手に抱える苦難の人生を歩んだ。
13年前に夫を亡くしてから1人暮らし。3種類の豆をブレンドする自家焙煎のコーヒーが唯一の楽しみだった。
穏やかな老後、一本の電話で一変
被害回復制度
そんな穏やかな老後が一本の電話で一変した。昨年11月7日、警察官を名乗る男から「ATMでキャッシュカードが悪用された」と言われた。カードを替えるために別の警察官が家に来るという。若い女が訪れ、カードを持ち去った。
金融機関からの連絡で被害に気付き、確認すると440万円が消えていた。犯行は4日間。「人生の大半をかけてためたお金が一瞬でやられた」。怒りや情けなさで、しばらく眠れなかった。
1カ月ほど後、20代の男女が逮捕された。男は「闇バイト」で加担した現金回収役で、女は女性宅を訪れた「受け子」だった。奪われた金は主犯格の手に渡ったとみられる。
被害から7カ月後の6月7日。公判中の末端の女から反省の手紙が届いた。B5判の便箋2枚に「『原爆手当』であったことを聞きました。本当に申し訳ございませんでした」「社会復帰した時には真面目に働き、正直に生きていきたいと思います」などとつづられていた。
その後、被害弁済として50万円が支払われた。被害のごく一部だ。それでも女性は示談に応じることにした。「本人からしたら大金。許せない思いもまだ残っているけど、人を憎んでもええことはない。気持ちを整理しようって思った」。複雑な心境も明かした。
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