旧日本海軍、乱数表を使い回し 山本巡視電は指示に反する運用 米が暗号解読、長官機撃墜・機密解除史料

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旧日本海軍の山本五十六連合艦隊司令長官(AFP時事)

【写真】米海軍が解読した1943年2月11日の旧日本海軍の暗号電

 機密解除された米軍史料を収集した戦史研究家の原勝洋さん(81)が、時事通信の取材に明らかにした。長官の行動予定を記した暗号電が、乱数表変更の指示に反する形で作成されたことも判明。暗号は米側に正確に解読され、撃墜を招く結果となった。

 旧海軍の暗号を巡り、機密保全上、極めて問題のある使用法を中央が命じ、出先も不適切に運用したことが文書で裏付けられたのは初めて。米国立公文書館で史料を収集した原さんは「暗号部署が混乱し、長官巡視電で乱数表の誤用があったのではないか」と話している。

 旧海軍の暗号は、「呂1」「波1」などと名付けられた暗号書と、それらと組み合わせて使う「第1」「第2」などの乱数表で構成。呂1、波1は共に戦略暗号に属し、秘匿の強度が高いとされていた。

 新たに確認された史料は、いずれも43年2月11日に旧海軍中央から全艦隊司令長官、海軍基地、各通信隊へ宛てた暗号電の解読カード2通。無線傍受の拠点となった米海軍通信部のハイポ諜報班(ハワイ)が解読した。

 1通は、「2月15日、呂1乱数表第2の使用を停止。乱数表は、波1乱数表第2を呂1暗号の使用規程に沿って使うよう変更」と記載。呂1と波1の暗号間で、乱数表の使い回しを命じている。

 もう1通はそれと対を成すもので、「2月15日、波1暗号の乱数表は第3とせよ」と書かれており、使い回しの元になった暗号書の乱数表を第2から第3に変更するよう指示。発信元はかっこ書きで、「軍令部または東京通信隊」と訳されている。

 呂1は旧海軍のすべての部隊を、また、波1は潜水艦を除く全艦船と主要基地をそれぞれ対象としていた。

 長官の行動予定を記した巡視電の暗号作成には、波1乱数表第2が使われたことが、機密解除された米史料から分かっている。新たに、波1暗号の乱数表を第3に変更するよう指示されていたことが判明したことで、巡視電はこの指示が守られず、使い回された乱数表が再び使用されたことになる。

 巡視電は4月13日付で、連合艦隊司令部が進出していたラバウルの南東方面艦隊司令長官名などで前線部隊に打電された。山本長官がブーゲンビル島などの基地を18日に視察するとの内容だった。

 米軍の機密解除史料によると、波1乱数表第2は43年1月3日から使用されていた。2月15日以降も使い回されたことで、米側に暗号解読の精度を上げる時間的な余裕を与えた可能性がある。

 ◇山本長官機撃墜事件
 1943年4月18日、山本五十六連合艦隊司令長官の搭乗機がブーゲンビル島上空で米軍機の待ち伏せ攻撃に遭い、ジャングルに墜落し長官が戦死した事件。「海軍甲事件」と呼ばれる。

 山本長官は、ソロモン諸島とニューギニア方面連合軍の海空兵力撃破を目的とした旧日本海軍の航空作戦(「い」号作戦)を自ら指揮。同月の作戦終了を受け、将兵の労をねぎらうため前線基地の視察を計画した。

 長官と宇垣纏(うがき・まとめ)参謀長らは一式陸上攻撃機2機に分乗し、零戦6機の護衛を受けてラバウルを出発。最初の目的地バラレ島に向かう途中、米陸軍P38戦闘機16機と遭遇した。

 事件後、中央の指令で長官の行動予定に関する調査が行われたが、現地からの報告は暗号電報解読による機密漏えいを否定し、敵機との遭遇は偶発的なものだったとした。作戦指導の見地から長官の死は5月21日の大本営発表まで伏せられ、6月5日に東京・日比谷公園で国葬が営まれた。 

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