「火の出る様なシユートをなせし」サッカー日本代表の名選手、原爆で奪われた命 #戦争の記憶

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清水直右衛門さん(鯉城同窓会提供)

【写真】被爆前の本通り商店街やドーム館内の写真

文武両道の男前 滋賀から広島へ

「火の出る様なシユートをなせし」サッカー日本代表の名選手、原爆で奪われた命 #戦争の記憶

清水さんの家族の呉服店があった広島市天神町の街並み=1941年ごろ撮影(三田茂さん提供)

 清水さんには子どもがおらず、玲子さんが2歳の時に亡くなった。玲子さんに直接の記憶はなく、清水さんの実の妹である玲子さんの母も若くして病死している。ただ、もう一人の妹である伯母から生前によく思い出話を聞いたという。

 清水さんは1902年12月16日、滋賀県生まれ。玲子さんの話などによれば、滋賀県で呉服の商売を営んでいた清水さんの父が広島市に進出して店を構えたのに合わせ、子どものころに家族で市内に移り住んだようだ。

随所で好プレー 関西の強豪校も破る

「火の出る様なシユートをなせし」サッカー日本代表の名選手、原爆で奪われた命 #戦争の記憶

1923年に大阪市で開かれた極東選手権で中華民国チームと競り合う横縞ユニホームの日本代表。清水直右衛門さんが日本代表チームの歴代2ゴール目を決めた(「極東選手権大会記念写真帖」から)

 「清水のドリブリングアンドパッスにて敵の中衛を突破す」「絶好のコーナーキック」「火の出る様なシユートをなせし」…。清水さんは主にフォワードで試合に出場し、随所で好プレーを見せていた。西日本で特にサッカーが盛んだった神戸市で開かれた大会に出場し、関西の強豪校だった御影師範学校などを下したこともあった。

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