「10人殺したら死んでもいい」と言われ…ジャングルの穴で2か月潜伏 秋元才加が聞いた、“少年ゲリラ部隊”元隊員の沖縄戦【戦争と子どもたち】

[ad_1]

TBS NEWS DIG Powered by JNN

【写真を見る】「10人殺したら死んでもいい」と言われ…ジャングルの穴で2か月潜伏 秋元才加が聞いた、“少年ゲリラ部隊”元隊員の沖縄戦【戦争と子どもたち】

■「怖いという言葉は口から出ない」

7月下旬、沖縄本島北部の大宜味村。小さな公民館の扉をあけると、杖をつきながら、礼儀正しくお辞儀をする男性がいた。瑞慶山良光さん(94)だ。

瑞慶山さんが16歳だった1945年、54万人ものアメリカ軍が沖縄に侵攻。迎え撃つ日本軍は10万人に過ぎず、軍は兵力を補うため、子どもたちを動員した。当時、青年学校に通っていた瑞慶山さんにも声がかかった。

秋元:
赤紙とか、お知らせが来たのですか?

瑞慶山さん:
役場の兵事係の人が召集令状を出すんです。でも、不公平なことをやっていたんです。兵事係の子どもは召集しない、と。

秋元:
え?全員が召集されるわけではないんですか?

瑞慶山さん:
兵事係が決めているんです。自分の子どもはやりたくない、行かせない。親戚も行かせない。

秋元:
これは不公平でしょ、と言える時代ではなかった?

瑞慶山さん:
そんなこと言ったら首を切られるから。警察に捕まるからね、「国賊」だといって。

瑞慶山さんが配属されたのは「護郷隊」。スパイ養成機関・陸軍中野学校の出身者たちが編成した部隊だ。15歳から18歳の地元の少年を中心に組織され、主な任務は、地の利を生かしたゲリラ戦により敵をかく乱させることだった。

入隊が決まり学校に集められると、すぐに訓練が始まったという。

秋元:
どんな訓練だったのですか?

瑞慶山さん:
四つん這いになって、ほふく前進。鉄砲を腰の上に上げて肘で歩く訓練。そうしてアメリカ軍の兵隊が眠っているところまで辿り着いて、爆薬に火をつけて一緒に吹っ飛ぶんだ。

[ad_2]

Source link