[杉田あきひろさん]元「歌のお兄さん」覚醒剤で逮捕からの再起…救ってくれた長野県松川村のコンサート

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インタビューズ

【図表】アルコール依存症の危険サイン

「自分は薬物とは無縁だと思っていた」

撮影・中山博敬

 ぼくは福井県の小さな港町で生まれ育ちました。父は人格者で市の教育委員長、母は元教師というお堅い家庭環境で育ったんですね。

 大家族でみんな仲良くて、ぼくも社交的で友達も多く、勉強もそこそこできた音楽好きの普通の少年でした。

 今振り返ると「薬物」なんて自分とは無縁の世界のものだと思っていました。家庭環境に問題がある人や心に傷を持つ人、怖い人が使うものだと。後に自分が薬物と出会うなんて思いもよりませんでした。

 上京して慶応大学に進学し、在学中にミュージカル「レ・ミゼラブル」のオーディションに合格し、ラッキーにも1989年に初舞台を踏みました。レッスンに明け暮れて、日本初演の「ミス・サイゴン」のオーディションにも合格するなど、ミュージカル俳優時代は充実した日々でした。

 93年だったと思うんですけど、友人に「合法的なものだから」と言われて、「エス」というはやりの興奮剤を勧められたのです。当時はまだネットも一般的ではないし、情報量は少ない。「依存性もないから」という言葉をうのみにして、軽い好奇心で「エス」をやってみたら、音楽がキラキラ輝いて聴こえて、全く知らない感覚の世界に誘われました。それが、ぼくの初めての薬物体験でした。

 そうしたら、その何か月か後に、その友人が警察に捕まって、そのとき初めて「エス」が覚醒剤だと知りました。驚いて怖くなり、その後は「エス」とは離れてミュージカルに没頭する元の生活に戻りました。

 98年にNHK「おかあさんといっしょ」のオーディションに合格し、99年から4年間、「歌のお兄さん」として毎日番組に出演しました。ほぼ休みもなく忙しくて大変でしたが、充実していて楽しくて、初めて「うたうこと」に大きな責任を感じて仕事に取り組んでいました。最高のチームで最高の番組を作る。その頃には薬物のことは全く頭になく、「自分はもう薬物とは関係のない人間だ」「卒業できたんだ」と考えていました。

 2003年に番組を卒業後は、様々なコンサートや主演ミュージカルなど大きな仕事をたくさんいただけて、「歌のお兄さん」以上に忙しくて、それでも無我夢中に走り続けていました。

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