[ad_1]
高校時代の平井登威さん=本人提供
青春時代を費やしたサッカーは、いつしか精神疾患のある父親の機嫌を左右するものに――。「親を悪者にしたいわけではない」と話すかつてのサッカー少年が選んだのは、自分と同じ状況にある「子」を支援する道でした。(withnews編集部・金澤ひかり)
【漫画】元小学校教員のうつ体験 待っている人がいるのが苦しかった「一番の薬は忘れること」
週6回の練習、サッカーにのめりこんだ青春
大学4年生(現在休学中)で、静岡県出身の平井登威(ひらい・とおい)さんは、子どもの頃から地元のサッカーチームに所属し、高校でもサッカーに熱中していました。「小学校の頃、東海地方の3位になったり、同級生にはプロになった友人もいます」
週6回ほど練習に参加するなど、多くの時間を費やしていました。
平井さんにとってのサッカーは、夢中になれるものであり、厳しい家庭環境から離れられる「支え」でもありました。
サッカーに依存する父、練習終わりがつらかった
平井さんの父親は、平井さんが幼稚園生の頃からうつ病を患っていました。
父親の気持ちが不安定な家庭環境の中で、父親からの心理的・身体的にしんどい状況が日常的にあったといいます。
「『それ、親が言うことじゃないだろう』と思うようなことを言われたこともありますが、記憶を消してしまっているところがあるのか、はっきり覚えていることは少ないです」
自分や家族の命の危険を感じたことも。そんな家庭環境の中、サッカーをしている時間は、体を動かすことで気持ちを発散でき、「好きなことをやっている時間」が支えになっていたといいます。
ところが、徐々に父親が、サッカーをする平井さんに干渉するようになってきたといいます。
練習の送迎は必ず父親が担い、フェンス越しに活動を見ていましたが、練習後には平井さんのプレーを責められ、帰りの車の運転が荒くなるようなこともあったそうです。
「僕のプレー次第で気持ちが上下するので、練習終わりはつらかった」
自覚し言語化する難しさに加え、立ちはだかる「偏見」
そんな家族のことを初めて打ち明けられるようになったのは大学生になってからでした。
話せた相手は、自身のバックグラウンドと共通する点がある友人。平井さんは当時の心境について、ブログサービスに「心がスッキリした。楽になった。共感できることの素晴らしさを知った」と綴っています。
平井さんは、親に精神疾患がある子どもが、家族のことや自分の気持ちを打ち明けるためには、「『自覚』と『助けて』と言う勇気が前提として必要になる」と話します。
平井さん自身、小学6年生の頃から、父親の様子やそれに伴う家庭環境が「他の家と違うんだな」と気づいてはいました。「ただ、当事者が自分の周りで起きていることを自覚し言語化することはそもそもとても難しい」と指摘します。
それに加え、周囲に困難な状況を打ち明けにくくする要因としてもう一つ挙げるのが「偏見」です。
平井さんが語ってくれたのは、中学生のときのエピソード。当時、学校でうつ病になった先生がいましたが、友人は「あいつ、うつだって」と、否定的なトーンで話していたといいます。
「精神疾患に対する偏見を感じ、親を悪者にされたくないという気持ちも生まれた」と振り返ります。
[ad_2]
Source link