深夜の屋上、学徒兵が口ずさんだ英語の「きらきら星」  夜空見上げると思い出す動員下の青春 #戦争の記憶

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【写真】菅野さんが「秘密兵器」と説明を受けた風船爆弾に気体が注入される様子

半年間の動員生活

菅野一郎さんが学徒勤労動員で作業した製造所があった場所に建つ陸上自衛隊大宮駐屯地(7月24日、埼玉県さいたま市)

 動員先は東京第一陸軍造兵廠大宮製造所。現在は陸上自衛隊大宮駐屯地(さいたま市)となっている。終戦を告げられる8月15日までの約半年間、学校での勉強は中断、多くの時間をこの工場で過ごすこととなった。動員初期は工場の一角で、付き添いの先生による授業が行われていたが、そうした機会はすぐに失われ、お国のためにと汗を流し働くことが当たり前となっていった。

一日の始まりは軍歌と行進

 「万朶の桜か襟の色 花は吉野に嵐吹く 大和男子と生まれなば 散兵線の華と散れ」

 「歩兵の本領」の一節は今でも歌える。足並みと歌声をそろえた行進は20分以上続いた。当時は物資不足が続き、まともに朝食を食べられないことも多く、行進の途中に倒れそうになった生徒もいた。

 「好んで歌っているわけではない」と話していた学友は、やけになってわざと大きな声を出していた。付き添いの先生も軍国主義者という感じではなかったが、地域住民が見ている手前、生徒には歌わさざるを得ないという雰囲気だった。そうした空気を生徒も感じとり、先生が目を離した時はすぐに歌うのをやめた。その時の様子を思い出しながら、「パフォーマンスだったのでしょうね」と菅野さんは苦笑した。

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