「対話を通じて社会を変える」亡き娘を惜しむ父親が10年間戦い続ける姿勢

バックグラウンド

事件から10年、被害者の父親が対話を求める

事件から10年が経過したが、三重県朝日町で元少年によって中学3年生の寺輪博美さんが襲われ、命を落とすという悲劇的な出来事を引き起こしました。事件によって父親の悟さんは、遺族への不当な扱いや制度上の問題にも直面し、司法手続きに関与してきました。彼は遺族への正しいサポートが必要であり、悲しみが消えることはないと訴えています。

対話を通じて罪を償うことを望む

加害者の元少年は現在も服役中であり、昨秋から仮釈放の可否を審理する過程に入りました。悟さんは仮釈放に反対する意思を書面で伝えましたが、再審理の結果、元少年の仮釈放が認められました。それでも彼は、元少年が罪と向き合い続けることを望んでいます。

遺族への不信感と理解の欠如

不適切な表現による遺族への傷

地方更生保護委員会から送られてきた書面には、被害者の状態を記載する際に「心身に重大な『故障』」という言葉が使用されていました。悟さんはこの選択肢が遺族への冷たさを感じさせるものだと感じました。さらに、加害者や事件の概要を被害者遺族に書かせる欄まで存在したことも、遺族にとってふさわしくないと感じられました。このような書面を提出する必要性について疑問を抱き、「なぜそんなことを書かせる必要があるのか。心がないよ」と考えました。悟さんはこの欄を白紙で提出しました。

行政の冷淡さによる追い討ち

過去にも同様の問題が起きています。死体検案書の作成費用の請求書には、「屍、しかばね」という言葉が書かれていました。悟さんはこれによって、行政が遺族の心情に寄り添わない冷たさを感じました。報道陣からの取材を避けるためにホテルでの暮らしを強いられ、さらに金銭的な負担も重くのしかかりました。

犯罪被害者支援への取り組み

制度の変革を目指して活動を開始

悟さんは他の犯罪被害者遺族との交流を通じ、犯罪被害者支援の条例制定に向けた活動を始めました。元少年の裁判では、被害者参加制度を利用して意見陳述しました。この制度ができる前は、遺族であっても裁判の傍聴券を手に入れるために順番待ちしなければなりませんでした。この状況を変えた先人たちに感謝し、自分にも何かできることがあると思ったのです。

犯罪被害者支援条例の制定

その結果、2019年には三重県で全国で初めて犯罪被害者等支援条例が制定されました。この条例には見舞金制度も盛り込まれ、全国的なムーブメントが広がりました。岐阜県や愛知県でも同様の条例が施行され、三重県内の全ての市町にも被害者支援の条例ができました。請求書の文面も変更されました。

未来への願いと思い

亡き娘への思いと社会の変化

未だに博美さんの友人たちが悟さんの家を訪れ、仏壇に手を合わせてくれます。この姿を見て、悟さんは事件が彼らの人生にも大きな影響を与えたことを痛感しています。一方で、被害者支援の状況が少しずつ改善されていることを感じています。「誰もが被害者になる可能性がある。被害者が少しでも救われる社会の実現のためにも、今後も取り組みを続けていきたい」と悟さんは願っています。

まとめ

10年を経てもなお、亡き娘を惜しむ父親の思いは消えることはありません。彼は不適切な制度や行政の対応に立ち向かい、犯罪被害者支援の改善に努めてきました。彼の力強い声は、社会を変えるための重要な一歩となっています。

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