「太陽を盗んだ男」:日米の映画ギャップを崩した驚異的な作品

日米の原爆に対する認識の違いが浮き彫りに

映画史に異彩を放つ作品

日本とアメリカの間には、原爆に対する認識の違いが存在します。その差異を乗り越えた挑戦的な映画作品も存在し、映画史に異彩を放っています。

バービーとオッペンハイマー:異なる視点の2つの作品

「バービー」と「オッペンハイマー」は同時に米国で公開され、注目を集めました。観客たちはこの2本の作品を「2本立て」で楽しむことができました。しかし、バービーのキノコ雲の髪形を加工する画像がSNS上で拡散され、日本からは非難の声が上がりました。この行為は無神経であり、多くの人々が悲しんだでしょう。一方、米国ではキノコ雲のポップアートが一般的であり、この行為はあまり驚くべきことではありませんでした。一連の投稿は日本からの批判を受けて削除され、配給元が謝罪する事態となりました。

「バービー」はグレタ・ガーウィグ監督による注目作で、女性が主人公の人形の世界から現実の男社会を浮き彫りにしています。一方、「オッペンハイマー」はクリストファー・ノーラン監督による作品で、原爆開発者の苦悩を通じて反戦反核のメッセージを伝えています。

視点の違いを映画が示す

「オッペンハイマー」には広島や長崎への原爆投下を描くシーンはありません。これはノーラン監督の意図かもしれませんが、日米の視点の違いが明確に示されています。一方、今村昌平監督の「黒い雨」や「はだしのゲン」、そして「父と暮らせば」などの日本の映画作品では、被爆の体験が感性として描かれています。

「太陽を盗んだ男」:日米のギャップを乗り越えた作品

「太陽を盗んだ男」は日米の映画ギャップを乗り越え、原爆の恐ろしさを印象づける作品です。この映画は長谷川和彦監督と米国の脚本家レナード・シュナイダーが共同で脚本を執筆し、独特の視点が生まれました。

物語は中学校の理科教師が原爆を作り政府を脅迫するという大胆なストーリーで展開します。また、母親が原爆投下2日後の広島市に入り、胎内被爆している長谷川監督自身も被害者であると語っています。

この作品は製作に多くの困難を乗り越えて完成しました。製作費の調達にも苦労し、撮影中には綱渡りのような局面もありました。しかし、ビッグスターたちの顔合わせが大きな原動力となり、この作品は高い評価を受けることになりました。

「太陽を盗んだ男」は「1970年代日本映画ベスト・テン」で第1位に選ばれ、さらに「オールタイム・ベスト映画遺産200」でも歴代7位に選出されました。この作品はエンタメ性の高さとともに、核の脅威を独自の視点で描き、多くの人々に印象を与えました。

ナショナリズムの批判よりも、視点の違いを乗り越えることが重要

バービーやオッペンハイマーの騒動はナショナリズム的な批判が盛り上がる結果となりました。しかし、世界に反核の思いを伝えるためには、日米の視点の違いを乗り越えることが重要です。そのヒントは、44年前の「太陽を盗んだ男」にあるかもしれません。

*この記事は「日本ニュース24時間」からのリンクです。

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